私のスポーツ歴とダイエット経験についてまとめておきます。
興味がある方はご覧ください。
スポーツとダイエットの歴史
不器用で運動が苦手だった
小学生時代は肥満児でした。
運動会ではいつも足を引っ張り、足の遅さはクラスでも1,2を争う悲惨なものでした。
そんな私を見かねた母親が、スイミングスクールに連れて行ってくれました。
陸上ではどんくさかった私ですが、水の中では結構いけました(笑)
水泳が大好きになり、どんどん上達していきました。
とても楽しくプールに通っていた私ですが、順調に上達した私は、選手養成コースに入れられてしまいました。
選手養成コースの練習はただひたすらに泳がされるだけでとても苦しく、スイミングスクールに通うのが苦痛になった私は、水泳をやめてしまいました。
そして、なぜか中学になってサッカー部に入ることになります。
このおかげで、成長期だったこともあり、身長はどんどん伸びるし、それに従い自然に痩せていきました。
しかし、相変わらず足も遅く不器用だったので、サッカーはまったく上達しませんでした。
でも、ただ一つ、持久力があるということが分かりました。
ラグビーから様々なことを学んだ
不器用でサッカーはダメだと思った私は、高校時代はラグビーをやることにしました。
ラグビーは、ポジションによっては不器用でもできるのです。
私のポジションがフォワードだったので、もっと体を大きくしたい、重くしたいと思っていました。
しかし、毎日ハードな練習をしながらでは、思うように体重を増やすことができませんでした。
このころの体重は65kgでした。
体重がほしくてもなかなか増えなかったのに、3年になって部活を引退したとたんに太り始め、ウェイトをコントロールすることの難しさを知りました。
ラグビーというスポーツは特殊なスポーツです。
非常に激しく、身体と身体がぶつかり合うある意味で野蛮なスポーツですが、一方で紳士のスポーツと言われるように、チームワークや助け合い、ライバルをリスペクトする精神性など、大変貴重なものを学びました。
個人的には、キャプテンを務めたこともあって、組織をまとめてマネジメントしていく難しさもを、身をもって経験をさせてもらいました。
初めてダイエットにチャレンジした大学時代
大学は九州のとても小さな大学に進学しました。
小さな大学だったので、運動部はあまりありませんでした。
選択肢がなかったので、経験のないテニスを始めました。
あまり器用な方ではないので、テニスはあまり上達しませんでした。
それでも運動をしているうちはよかったのですが、やはり4年生になって部活をあまりやらなくなったら太り始めました。
そしてある時、遊びでテニスをやっている時に転倒して足首を捻挫してしまいました。
「これはきっと体重が重くなったからに違いない」と考えた私は、生れてはじめてのダイエットに挑戦しました。
この時のダイエットは、3カ月で8kg落として、73kg⇒65kgになりました。
季節はちょうど夏で、しかも足首を捻挫して走れないという状況でもあったために、大学のプールに毎日通って、足を使わないクロール(プルのみ)で泳ぎ込みました。
この甲斐あって、クロールで1km泳ぐことが出来るようになりました。
この時の詳細は以下の記事に書きました↓
私のダイエット歴①-初ダイエットはこんにゃくそうめん
トライアスロンにのめり込みコンディショニングの基礎を学んだ
クロールのプルだけで1km泳げるようになって、そのうえ体重が軽くなったことに気を良くして、当時興味を持っていたトライアスロンというスポーツを始めることにしました。
もともと不器用で、テニスには向いていないと感じていたのですが、水泳は子どものころにやっていたし、持久力には自信がったために、これなら自分に向いているのではないかと考えたのです。
このスポーツにのめり込んだおかげで、身体のこと、ダイエットのこと、コンディショニングのことに興味を持ち始め、いろいろなことを勉強しました。
体重が重くなると、最後のランニングがきつくなるので、とにかく常にウェイトコントロールをしているという状態でした。
この時に、コンディショニングに関する基礎的な知識をたくさん得ることが出来ました。
うつ病になって自分の人生と向き合うことになった
トライアスロンは、就職してからも続けていたのですが、入社してから8年目にうつ病になってしまい続けられなくなってしまいました。
トライアスロンを続けていたので、ずっとコンディショニングに気を使っていました。
何を食べたらいいのか、どれくらい休養したらいいのか、常自分の体調と向き合う日々でした。
しかし、仕事が忙しくなったうえに、仕事を手伝ってくれていた人が交通事故で突然亡くなるなどの不幸も重なって、人生に悩みうつ病を発症したのです。
うつ病にまでなって働く意味を見出せなくなった私は、本当に自分がやりたいことをやるべきだと考えて、会社を辞めました。
会社を辞めて、人間の身体のことをきちんと学ぼうと考えたのです。
つまり、人生をリセットすることにしたのです。
自分がうつ病になったのは、自分の人生が間違えていたからだと思ったので、一度リセットしてやり直すことでしか、この病を克服することはできないと考えたからです。
この時から、人生と向き合うことが始まりました。
ところが、会社を辞めてもすぐには体調がよくなるわけではありませんでした。
一年間自宅で療養している間に、20kgも太ってしまったのです!
一番太っていたころの写真がこれです↓
上の写真と比べると、まるで別人ですよね💦
ナショナル整体学院スポーツトレーナー科に学ぶ
トライアスロンに出会ったことで、人間のこと、人間の身体のこと、コンディショニングのことに興味を持つようになっていた私は、一年間の療養の後に、ナショナル整体学院スポーツトレーナー科に入学しました。
そこで、整体とトレーニングの実践と理論を学びました。
その一年後に、コナミスポーツクラブ入間店の付属治療院で働き始めます。
スポーツクラブ付属治療院なので、仕事帰りにプールで泳ぎ、広いお風呂に入って帰るという何とも贅沢な暮らしをするようになります。
もちろん、仕事の上でも、スポーツクラブの会員やインストラクター、近所の高校の運動部などがやってきて、とても勉強になりました。
ここで2年半の間、経験を積ませていただいて、自分のお店であるあおぞら整体院を開業しました。
2回目のダイエットに挑む
独立開業してから2年目のこと。
この時に、人生で2回目のダイエットに挑みました。
この時は、10か月ぐらいの時間をかけて、83kg⇒75kgまで、約8kgのダイエットに成功しました。
この時は、とにかく体が重いのでハードな運動はできませんでした。
そこで、ひたすら歩くことから始めました。
このころ、私が痩せていくのを見ていたお客さんから誘われて、徐々にランニングをするようになりました。
震災を機に本格的に走り始める
私は、ナショナル整体学院を卒業した後、そのまま学校に残り非常勤講師として働いていました。
2011年に東日本大震災が起こった際に、当時の生徒さんを連れて数回にわたり被災地を訪れて、被災者に対して整体の施術をしました。
その時に一緒に行った生徒さんが、トライアスロンに興味があると話をしていたので、2,3人の生徒さんを集めて、手始めにランニングからで始めることにしました。
私が走り始めたころの体重は77kgでした。
そして、3年間よく走りましたけれども、体重は74kgにしかなりませんでした。
3年走っても、たったの3kgしか痩せなかったのです。
49歳で再びダイエットにチャレンジ
そして、49歳の時に再びダイエットにチャレンジしました。
この時は、突然アイディアが降ってきたのです。
もうすでに、人間の身体についてかなりの知識がありましたし、私がこの時に思いついた方法は絶対にうまく行くと確信を持ちました。
過去の二回のダイエットで足りないものがわかっていたので、その最後のピースが埋まったという感覚でした。
この時には、4か月で9kgのダイエットに成功しました。
3年間走っても、3kgしか痩せなかった私が、4か月で9kg痩せたのです。
74kg⇒65kgとなって、高校時代の体重にまで戻ったのです。
しかも、うつ病にかかって1年間で20kg太ってから、なんと16年の歳月が流れていました。
このころの私です。いまもこの体型をキープしています↓
16年も経っていると、私はもう痩せないのだと思っていました。
こういう体質なんだから仕方がないと。
しかも、年齢も重ねているので、痩せにくくなっていると思っていたのです。
しかし、過去のダイエットの中で、この時のダイエットが一番楽でした。
楽に、楽しく痩せることが出来たのです。
驚くべき結果が続出
私はこの方法を、いろんな人に教えました。
実践できた人の中には、ものすごい結果を残す人が現れました。
私の整体の教え子だった40代男性は4か月で-17kg。
あおぞら整体院のお客様の50代女性は3か月で-12kg。
教えた私のほうが驚くような結果が出たのです。
しかも、二人とも、「全然苦しくなかった。楽しかった。」というのです。
その上、この時から3年以上たっていますが、お二人ともずっとキープしています。
リバウンドしていないのです。
驚くべき結果を出す人がいる一方で、うまく行かない人もいるわけです。
うまく行かない人はどんな人なのか。
なぜ、うまく行かないのか。
そのあたりが気になるところですよね。
その辺も含めて、このブログで明らかにしていきたいと思います。