人を育てる方法として、昔からいろいろなことが言われてきました。
もちろん、「他人と過去は変えられない」と言いますので、他人をコントロールすることは不可能です。
それを前提に考えると、自分の思った通りにならないのが、人を育てるという行為の本質です。
しかし、自分が思った通りに行動するようにすることが人を育てるということであると、勘違いをしてしまう人がいるのも事実です。
自分が考える理想的な像に、相手(子どもや部下)を近づけて行こうとしてしまうのです。
それは「育て」とは違う行為だと思います。
厳しく叱責することについて
人を育てる方法として、以前は、「褒めて伸ばすか、叱って伸ばすが」とか、「アメとムチを使って」と言われることが多かったように思います。
厳しい環境において、いわゆる「しごく」ことで、人は成長すると信じられていた時代があります。
今でも、そう信じている人は少なくなと思います。
それが、パワハラにつながるわけです。
しかし、それは怒鳴られた恐怖心から一時的にその人の言うことを聞くだけであって、当の本人は萎縮してしまうし、のびのびと自分が持っている力を発揮できなくなるのは明白です。
さらには、ストレスからその道を諦めてしまうかもしれない。
会社組織であれば、会社を辞めてしまうことも考えられます。
スポーツ界では、その弊害が早くから指摘されてきました。
しかし、近年では、コーチングなどの知識がいきわたり、メンタルトレーニングなどの成果も出て、日本選手が世界で活躍できるようになりました。
ただし、いまでも末端の組織では、根性論がはびこっている現場もあるかと思います。
そういうところでは、未来の有望な卵たちが日々潰されていると思います。
また、この問題は、スポーツ界のみならず日本社会の隅々まで蝕んでいて、各家庭での躾や、学校教育の現場、などでもよく見らます。
厳しくしつける、無理やり成長させる、頑張らせる、これがその人を大きく育てる、という考え方です。
人間が成長する時
しかし、人間が本当に成長する時というのは、本人が成長したいと強く願った時、それをサポートしてくれる環境に身を置くことです。
解らないこと、不安なこと、それをサポートして、勇気づける環境が大切なのです。
会社組織などで、社員を成長させたいと願うのであれば、このような安心して自分を伸ばすことができる環境を作ることが大切です。
失敗をしても大丈夫、未熟な自分でも成長させてくれる、きちんとしたサポート体制がある、わからないことはどんどん質問できる、そういう環境です。
こういう環境がある時に、人は自分を成長させようとするのです。
心理的安全性はぬるま湯なのか
心理的安全性の話をすると、「そんなぬるま湯みたいな環境では、だらけるだけで人は成長しないのではないか」という疑問を持つ方もいらっしゃると思います。
心理的安全性とぬるま湯の違いは、確かに分かりにくいかと思います。
心理的安全性が確保されている一方で、一定の成果を求める、あるいは目標を掲げて、到達点を示している職場においては、それを目指して人は成長しようとします。
ところが、明確な目標もビジョンもなく、ただすべてが「なあなあ」な空気がある職場においては、ぬるま湯的な空気が蔓延します。
ビジョンや目標があるかないか、高い成果を要求するかどうか、それによって、ぬるま湯かどうかが決まるのであって、「心理的安全性=ぬるま湯」ということではありません。
みんなで助け合って成長する
成長過程にいる人は、失敗することもあるし、上手くできないことがあるのが普通です。
そういう状態が当たり前である、という環境が良いのです。
もちろん、みんなそうだし、リーダーもそうなのです。
だったら、みんなで意見を出し合って、助け合って、目標を達成する。
そういう空気があるのが、心理的安全性なのです。
変化の早い時代には、明確な答えはありません。
みんなが意見を出し合って、試行錯誤を続けるしかありません。
このような時代にこそ、心理的安全性が必要になります。
むしろ、心理的安全性が確保できていない組織は、長続きすることはないでしょう。
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