自由に生きるとはどういうことか

草原に立つ男性 マインドセット
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このブログは日本語で書いているので、このブログを読んでいる人は日本人か、あるいは日本に住んでいる人ではないかと思います。
日本という国は憲法で様々な自由を保障しています。
職業選択の自由、居住移転の自由、表現の自由など、様々な自由が認められています。
一言でいうと自由の国です。
私たちは自由の国に生きているのです。

自由の国なのに不自由そうな人が多い

私たちは自由に生きることができます。
もちろん法律の許す範囲内でということですが、上にあげたような基本的な自由は憲法で認められているわけですから、かなり自由度が高いと言っていいでしょう。

にもかかわらず、なんだか不自由そうに生きている人が多いような印象です。
これはなぜなのか。
この問題について考えることが多いのです。

同調圧力が強い

私が思いつく原因は、同調圧力の強さです。
「空気を読め」という圧力が強くて、自由にしていてはいけないような感覚になります。
このような雰囲気があると、どうしても周りの人たちの動向が気になります。
周りの人たちと同じような行動をしなければいけないと考えるようになります。
それが当たり前であり、常識であり、正解だと考えます。
そして、思考停止に陥るのです。

高校を出て、大学を出て、新卒一括採用で就職をする。
転職においても、ブランクがあかないように、次の職が見つかるまで会社を辞めない。
余白を作って、一年くらい旅をして回るなんて、そんなことは許されない。
そのような、暗黙のルール、暗黙の空気に縛られているのです。

本来であれば、どんな生き方をしてもいいはずです。
どんな職業に就いても、どこに住んでも、ブランクがあこうが、学校に戻ろうが、何をしてもいいはずです。
でも、周りと同じようにしなければいけないと考えるから自由にできないのです。

自由に生きるとは

自由に生きるということは、「周りと同じでなければいけない」という考えから解放され、自分の意志で人生をハンドリングすることです。

もし失敗しても、もし苦しいところに追い込まれても、自分で決定したことですからその苦しさを受け止めて、またそこから立ち直る覚悟も必要になります。
周りの人たちと同じように生きているからと言って、苦しいところに追い込まれないという保証はありません。
むしろ、自分の心を不自由にしたままだと、それが原因で苦しくなってしまうというリスクもあります。(私はそのパターンで苦しくなってうつ病になりました。)

周りの人と同じように生きている方が、失敗のリスクも、それによるダメージも少ないのではないか、と思ってしまいがちですがそうとも限らないのです。
自分の意志で自由に生きようが、周りに合わせて窮屈に生きようが、失敗するときは失敗します。
その時に、自分の意志で主体的に生きていた方が、そのダメージは少ないのです。
自分の自由な意思を抑え込んで無理して生きていた方が、心に負うダメージは大きいのです。

自分の自由を制限しているのは自分

繰り返しますが、日本は自由の国です。
私たちは自由の国に生まれたのです。
しかし、周りに合わせて生きているうちに、自分から選んで自由を制限しているのです。
つまり、自分を不自由にしているのは自分なのです。
周りの人に合わせるのではなく、自分の意思を尊重して主体的に生きることは可能です。
自由に生きたいと願うのであれば、自由に生きればよいのです。

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