僕はかつてうつ状態に陥って、そこから約10年かけて抜け出すことができた。
その間、病院にも行かなかったし、カウンセリングも受けなかった。
自力で抜け出した。
「うつを自力で克服した」というと、けっこう驚かれる。
いったいどうやったら、そんなことができるんですかと聞かれる。
僕が、最初にやったことは、自分を縛り上げている「常識」という名の呪縛を解くこと。
先日のブログで、親の呪縛について書いたけれど、僕を縛っているのは親の呪縛だけではなかった。
親の呪縛の上に、常識という呪縛が絡み合って、がんじがらめになっていたのだ。
それらを一つ一つ、丁寧に解いていく。
その作業を続ける事によって、少しづつ心が楽になっていたんだ。
常識という名の呪縛は認識するのが難しい
常識という名の呪縛は、それに縛られているということを認識するのがとても難しい。
なぜなら、それは「常識」だと思っているから。
「常識」だと思っていると、そこで思考停止に陥る。
「常識」だから、当たり前のようにそこに存在している、自然の摂理のように感じる。
まるで、空気のような存在だったりもする。
なので、その存在に気がつかないのだ。
常識だから疑うことがない
もしその存在に気がついたとしても、それは常識だから、それを疑うということができない。
「当たり前」だと思っているから、疑う余地がないのだ。
太陽が東から上ってくるのが当たり前だと思っているように、疑おうとすら思わないのだ。
しかし、それは本当にそうなのだろうか。
コペルニクスが地動説を唱える以前は、地球の周り太陽が回っているのが常識だった。
自然の摂理だと、多くの人が考えていて、それが当たり前だった。
でも、その「常識」を疑って、ひっくり返したのがコペルニクスだ。
「常識」は本当に正しいのか。
それを疑う必要がある。
常識を疑うことで世の中が見えてくる
「常識」というのは、普遍的な価値観だと思っているかもしれないけれど、人によって全然違うんだということにまずは気づくことが大切。
視点が変われば「常識」は変わる。
地球上から見ていると、太陽が私たちの周りをまわっているように見えるけれど、宇宙に出てみれば、あるいは地球の外から見れば、地球がくるくると自転しているのが見える。
家族の常識が、家族から離れてみると常識ではないことがわかる。
学校の常識が、学校から離れてみると常識ではないことがわかる。
会社の常識が、会社を辞めてみると常識ではないことがわかる。
消費者の常識が、生産者からみれば常識ではないことがわかる。
日本の常識が、外国から見れば常識ではないことがわかる。
自分が「常識」だと思っていることが、他の誰かにとっては常識ではないということがとても多い。
常識を疑うことで、世の中を俯瞰的に、そして客観的に見ることができるようになる。
違う価値観に触れること
世の中を俯瞰的に見れるようになるには、自分とは違う視点でものを見ている人たちの価値観に触れることが大切だ。
一番手っ取り早く、自分とは違う価値観に触れる方法は読書だと思う。
本は、その著者が見ている世界を見せてくれる。
本を読むことで、自分とは違う価値観があるということを知ることができる。
そして、その著者の視点で、自分を取り巻く環境を眺めてみるのだ。
そうすることで、同じ環境なのに違う世界が見えてくる。
読書以外でも、自分が知らない世界に生きている人の話を聴くのもいい。
その人の視点で世の中を眺めてみるとどのように見えるのかを想像してみる。
それは、小説や映画の主人公でもいいし、わき役でもいい。
想像力を駆使して、他人の視点で世の中を見るのだ。
もちろん、身近な人間の視点を想像してみるのもいい。
親でも、兄弟でも、友達でも、上司でも。
違う価値観に触れることで、さらに世の中を俯瞰的に見ることができるようになる。
世の中が見えてくると生き方がわかるようになる
世の中を俯瞰的に見えるようになると、自分がどのように生きていけばよいのかがわかるようになる。
沢山の呪縛から逃れて、フリーな生き方が出来るようになる。
視点を自由に変えて、自分らしい生き方が出来るようになる。
自分が何に縛れていて、何を怖れてきたのかもわかるようになる。
捨てるべき価値観がわからなければ、それを捨てることができない。
そして、自分を縛り付けてきたものを捨てることができた時に、本当に楽になれる。
まとめ
まずは常識を疑おう。
常識を常識のままにしておくと、そこで思考停止してしまう。
思考停止してしまっては、そこから先に進むことができない。
常に疑う。
自分の思考が止まっていないかを考える。
思考が動き出せば、常識の呪縛から逃れるきっかけをつかむことができる。
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