僕自身もそうだったんだけど、自分の親に対して、
もっと、こんな風に育ててほしかった。
あの時は、こう言ってほしかった。
こんな親であってほしかった。
って、思うことってあるよね。
親の育て方が悪かったから、自分の人生が苦しいものになってしまったって、親を怨んている人も多いだろう。
確かに、そういう側面もあるだろう。
世の中には、本当にひどい親もいるからね。
でも、僕はある時、気がついてしまったんだ。
そういう要求をすることは、ほとんどの親にとっては無理ゲーだなって。
ちなみに、「無理ゲー」というのは、難易度が高すぎる要求だってこと。
どうして気がついたかというと、ある時、親の立場になって想像してみたんだ。
どんな気持ちで子育てをしたんだろう。
どんな生活をしていたんだろう。
どんな人生だったんだろう。って。
親も完璧ではない
世の中には完璧な人はいない。
もちろん、自分の親も完璧ではない。
不完全な一人の人間に過ぎないんだ。
完璧な子育てなんてそもそも、できないってこと。
しかも、子育てをしている頃の親自身が、まだまだ若いってこと。
世間も知らないし、人生のこともわからない。
そういう世代の親に対して、完璧な子育てを求めること自体が無理な話なんだ。
しかも、子育ての専門家も出ない、いわゆる素人なわけだ。
素人が、実際の子どもを目の間にして、毎日迷いながら子育てをするわけだ。
当然、間違いも犯すし、言ってはいけないことを言ってしまって、子どもを傷つけたりもする。
それが普通だし、それが日常だし、子育ってってそういうものなんだと思う。
後だしジャンケンで言われても
それに、子育て真っ盛りの時に、当の本人(自分)はまだまだ子供で、こうしてほしいとかああしてほしいとか、直接親に言ってきたわけではない。
言葉もよく話せない、自分だって自分のことがよくわからない、ましてや将来のことなんてわからない存在だったわけだ。
自分の気持ちを伝えることができなかった。
そして、大人になってから振り返ってみて、ああ、自分はあの時、親にあんなことを言われて傷ついたんだとか、あの時にもっとこうしてもらえれば、こんな人生にならなかったんだ、って思うんだ。
で、それをその時になってから言われたとしても、親としてはなすすべがないよね。
そんなこと、いまさら言われてもね~。ってなる。
子どもがどんな親を理想的だと思っているかなんて知るすべがない
そもそも、完璧な子育てなんてあるんだろうか?
人生に正解が無いように、子育てにも正解がないのではないか。
僕にはそう思えてならない。
子どもの将来のためにと思って、塾に通わせたり、習い事をさせたりしようとしても、それが将来役に立つかどうかなんてわからない。
もしかしたらそんなことさせずに、伸び伸びと遊ばせてたいほうが良いのかもしれない。
さらに難しいのは、子どもによって理想の親像が違うということ。
そして、それを知る由が無いということ。
子どもが親に対して、どのような希望を持っているかなんて、わからないんだ。
そんなことを考えていたら、「こんな親であってほしかった」と後からいくら言ってみても、それは無理な相談だよなあ、と思うよね。
未熟ながらも一生懸命だった親の姿が見えてきた
そうやって、親の立場からモノを見るようになってから、自分の親も自分と同じように、いろいろな思いを抱えながら、迷いながら、不安を感じながらも懸命に子育てをしてきたんだろうなあ、ということがわかるようになった。
そりゃあ、いろいろと不満はあるけれども、それでも一生懸命、僕のことを考え、僕のためにがんばってくれていた親の姿が見えるようになってきたんだ。
自分で自分を育てる
そうしたら、いつまでも親に文句を言っているようではダメだなと思うようになった。
ある年齢になったら、自分のことくらいは、自分で育てられるようにならないといけない。
その年齢までは、親が懸命に育ててくれた。
いろいろと問題があったにせよ。
自分で自分を育てることができるようになったら、もう親の役目は終わりなんだ。
自分で育てることができるようになったら、後は自由自在だよね。
だって、自分でできるんだから。
まとめ
世の中に完璧な人はいない。
完璧な子育てができる人もいない。
しかも、子どもが望むような子育てなんてできない。
でも、それなりに懸命に生きている。
懸命に育てている。
それだけで、感謝してもいいんじゃないだろうか?
もちろん、例外はあるよね。
本当にひどい親もいる。
でも、でもね。
完璧な子育てを求めるは、酷な話だと思う。
ある程度の年齢になったら、いつまでも親に恨み言を言っているのではなくて、自分で自分を育てていこう。
理想の自分になれるように。
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