槇原敬之さん逮捕を機に依存と自立について考える

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シンガーソングライターの槇原敬之さん(なんとなく容疑者という呼称を使いたくない)が、再び逮捕された。
彼は、僕と同年代なので、彼が最も人気があった当時をよく覚えている。

だから、最初に逮捕された時にもとても残念だと思った。
しかし、今回は、あれから21年も経っているのに再びクスリに手を出してしまったことを受けて、薬物依存の怖さを改めて感じている。

薬物に手を出す人は、何度でも手を出してしまう。
それくらい、依存性が強い物質なのだろう。
一度、依存状態になると、もう一生、薬物のことが頭から離れなくなるらしい。

常に、我慢している状態。
今日も一日、薬物をやらずに済んだ。
そういう日々がずっと続くのだ。
これはきつい。

そして、その依存性の強さを知っている売人が、過去に薬物に手を出した人を追いかけるという構図があると、田代まさしさんが過去に語っていたのを聞いたことがある。
つまり、常に誘惑してくる人がいる、ということだ。

それが、何度も手を出してしまうという結果につながる。

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何かに依存することは良くないことなのだろうか

そこで、依存、ということについて考えてみたい。
果たして、何かに依存することは良くないことなのだろうか?

大人になったら親元から離れて、自立しろと言われる。
我々は、自立するというと「一人で生きていく」ということだと思い込んでいる。

自分の足で立つ。
自分の足で歩く。

それが自立だと。

自立とは何か

でも、人間はそもそもが、社会的動物といって、集団で生活をして集団の力を使って生き延びてきた動物だ。
言語を操り、意思疎通をして、役割分担をして、協力して生き延びる。
それが、人間の戦略だった。

そもそも、自立するということは、一人で生きていくということとイコールではないんだ。

周りの人間と協力し合って、助け合って生きていくこと。
それが、人間としての自立、ということなんだと思う。

過去にこのブログにも買いたいけれど、あの、女性装の東大教授、安富歩さんの著書「生きる技法」の中にも、「自立とは多くの人に依存することである」と書いている。

自立とは、多くの人に依存することである-安冨歩著「生きる技法」より
「自立」するということは誰にも頼らすに生きていけるようになることなのだろうか?しかし、人は一人では生きていけないということを多くの人は知っている。人は助け合って生きていく社会的な動物です。助けられる側になっても良い。助けてもらうことができるようになることが、自立するということなのです。

昨日の僕のブログ記事「僕がうつを克服するためにやったこと」を読んでくれた僕の後輩がコメントをくれて、精神科医の斎藤環さんも「自立とは依存先を増やすこと」だと言っている、ということ教えてもらった。

僕がうつを克服するためにやったこと
僕はかつてうつ状態に陥って、約10年の歳月をかけてその状態を克服した。僕は医者にもかからず、カウンセラーにも頼らず、自力でそこから這い出してきた。僕がうつ状態を克服するときにどんなことをしたのか。そのことについてまとめてみた。

人はそもそも、一人では生きていけない。
にもかかわらず、現代人は、一人で生きていけるようになることが自立することだと勘違いしているのではないか。

依存症の正体

人に頼ることができない。
弱みを見せられない。
助けを求められない。

そういう人が、人以外のものに依存してしまうのではないか、と思う。
それが依存症の正体なのではないか。

他人の期待に過度にこたえようとする。
自分の弱さを隠そうとする。
完璧な人間でいようとする。

そもそも、自己肯定感が低いから、弱みを見せられない。
助けてほしいと言えない。
助けを求められない。

そういう人が、緊張や不安を和らげるために、いろいろなもの依存する。
薬物(アルコールも含む)、ギャンブル、買い物、セックスなどなど。

どうせ依存するなら、身を滅ぼさないものに依存したいところだ。
でも、苦しさを紛らわすために藁にもすがるような思いで手を出すのだから、冷静な判断などそもそもできないのだろう。

会社に依存すると定年後に苦しむ

会社を定年退職をして、そのあとうつ病になってしまう人がいる。
僕のところにも、そういう人が結構相談に来る。

このような人は、会社に依存していて、それ以外に依存するところがなかった人だ。

家庭も顧みなかったりすれば、家庭にも居場所がなくなり、さらに熟年離婚でもされようものなら、本当に一人ぼっちになってしまう。
助けてくれと言える場所がないのだから、自分の存在価値すら疑わしくなる。

自分はひたすらに、自立しているつもりで頑張ってきたのだけれど、会社から出てしまうと、どこにも頼るところがない。
そんな状態になりかねないのだ。

助け合える社会を作ろう

今の日本は、何かというと「自己責任」と言われる。
貧困にあえぐのも自己責任。
生きづらいのも自己責任。

もちろん、自分にも多少の責任はあるだろう。
でも、弱さがある、スキがある、不完全なのもまた、人間なのではないだろうか。

だから、やっぱり、助け合える世の中のほうがいいと思う。
そうすれば、何らかの原因で自分が弱者になったとしても、安心して暮らせるようになる。
その安心感があれば、将来に不安を感じることなく、幸せを実感できるようになるのではないだろうか。

まとめ

完璧な人間なんていない。
弱さを見せ合って、助け合って生きていける世の中であってほしい。

人の期待に応えようとしなくていい。
できないものはできないと、はっきり言える世の中であってほしい。

僕はそんな風に思うのだけれど、どうだろうか?

槇原敬之さんは、もう充分にたくさんの素晴らしい作品を生み出してきたのだから、これ以上周りの人の期待に応えなくていいと思うし、そんな自分を責めるのはやめたほうがいいと思うんだけどな。

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