人々を苦しめる「普通」について考える

羨む女性

悩める人の話を聴いていると、たびたび出てくるワードの中に「普通」という言葉がある。

自分は普通ではないのではないか。
普通の人はどうしているんだろうか。
普通の人生を歩きたいのに、自分は普通ではない。
普通の人生を歩きたかった。

そんな風に悩む人もいれば、

自分は普通過ぎて特別な人間ではない。
自分は何のとりえもない普通の人間である。
普通の人生は歩きたくない。

という悩みを抱えている人もいる。

普通になりたい人も、普通になりたくない人も、とかく「普通」ということに振り回されている。

普通ってなんだ?

整体師として、延べ一万人以上の人に施術をしてきた僕としては、誰一人として同じ人はいないし、みんな違う。
そういう感覚からすると、普通の人っていったいどういう人を言うんだろうか。

僕にはさっぱりわからない。

結局、その人の頭の中に、その人が思い描いている漠然としたイメージの普通の人がいて、その人と比べているだけのこと。
つまり、万人に共通する「普通の人」の定義があるわけじゃないんだよね。

で、例えば、前に挙げた悩み事を抱えている人たち。

自分のことを「普通じゃない」と思っている人たちだって、僕から見れば、ある意味でみんな普通だし、「自分は普通で特別ではない」と思っている人たちだって、僕から見れば、ある意味でみんな特別なんだよね。

だから、「普通」って言葉は、とてもあいまいなイメージに過ぎなくて、それに振り回されてしまうのは、なんだかなあ、って思ってしまうんだ。

周りの人と比べなくてもいい

結局、普通かどうか、特別かどうかで悩むということは、周りの人と自分を比較しているということだよね。
でも、そんなことをする必要が、そもそもあるんだろうか。
そこのところを考えたほうがいいと思うんだ。

それよりも、もっと「自分」というものに興味を持ってほしい。
まずは、自分がどういう人間で、どうなりたい、どうありたいと思ているのか。
どういう時に幸せを感じるのか。

そこが一番重要なんだよね。
自分が満足していれば、その状態がいわゆる「普通」かどうかなんて、考える必要ってないよね。
だって、満足しているんだもの。

僕はそう思うけどな。

自分を信じろ

おそらく、普通が気になる人って、自信がないんだ。
自分は自分。
そのままでオーケー。
という感覚がない。

だから、周りの人が何をやっているかが気になるんだ。

「自信」って、自分を信じる、ということ。
自信がない人は、自分自身が信じられる存在になっていないということだよね。

それは、自己肯定感を育ててもらってこなかったということだ。
でも、ある程度の年齢になったら、自己肯定感は自分で育てる必要がある。

そのために何をすればいいのか。
それは、「自分を裏切らない」と決意することだよ。
裏切らないということは、徹底的に「自分の味方になる」ということ。
「自分に寄り添う」ということ。

それを続けていけば、自分を信じられるようになる。
そうすれば、自信が芽生えてくるよ。

自分を責めるから、自信が持てなくなって、周りの人と比べるようになって、「普通」が気になるようになる。
僕はそう思っている。

まとめ

「普通」が気になる人は、「自信がない」人だと思う。
もし、子どものころに「自信」を育ててもらえなかったなら、自分で自信を育てよう。

自分を裏切らない。
徹底的に自分の味方になる。

そう決めてほしい。

自分のことが信じられるようになったら、「普通」が気にならなくなる。
周りの人はどうでもいい。
自分はこれでいいんだ。

そういう感覚が持てるようになるよ。