今度、「人生の学校」を開校する。
11月16日(月)にオンラインセミナーという形で。
それに先立って、記念すべき第一回目に何を話せばいいんだろうかと、ずっと考えている。
正直に言って、話したいことがてんこ盛りで、もちろん一回では話しきれないので、今後もずっと続けるんだけれども、こういうことをやる場合に、やっぱり軸となる基本理念みたいなものが必要だと思うんだよね。
ビジネスではないので、目指すべきビジョンとはちょっと違うんだ。
学校だから、教育理念みたいなものかな。
いろんなキーワードが浮かんだんだけど、生き残ったのが「人生に正解はない」といういものだ。
「幸せになろう」でもいいんだけど、どっちがいいかな。
人生の目的は幸せになること
人生の目的は幸せになることだと思う。
これには異論はないと思うんだ。
ただ、「何が幸せなのか」という問いに対しては、さまざまものがあるだろう。
これは僕の持論だけれど、幸せとは「幸せだと感じること」だと思うんだよね。
つまり感覚だ。
感覚というのはきわめて主観的な問題であって、他人と比べられるものでもないし、お前のその感覚は間違えているとか、正解だ、とか言われる筋合いのものでもない。
他人から見て、とても幸せそうに見える人でも、本人は幸せを感じていないということもよくある話だし、逆のパターンももちろんある。
他人に評価されるものでもなく、他人と比較できる話でもない。
人生に正解はない
人生の目的が幸せになることだとしたら、本人が満足すればそれでいいということになる。
つまり、人生には普遍的な正解というものが無い。
にもかかわらず、人は人生に迷った時に「これで正解なのだろうか」と考えてしまう。
どこかに正解というものがあるのではないか、という思いに駆られて、本を読んだりネットで検索したりする。
しかしそこにあるのは、どこかの誰かが考えた「正解らしきもの」であって、それが本人にとっての正解とは限らない。
哲学を学んでも、心理学を学んでも、どこにも自分の答えは書いていない。
自分の人生は自分だけのものであって、答えは自分の中にしかない。
正解らしきものたちは、ヒントや参考にはなるけれど、それは正解とは言えない。
「今」の幸せを追求しよう
「何が幸せなのか」「幸せという感覚」は、年齢とともに時とともに変わっていく。
時代背景に左右されるし、その時流行や、周りの人間関係にも左右される。
変化していくのが当たり前なのだ。
十年後も同じ幸せを追求しているとは限らない。
だから、今、幸せだと思うことを大切にする。
「幸せな今」を積み重ねていく事によってのみ、幸せな人生を作り上げることができるのだ。
何か大きな目標を掲げるのもいい。
そこに至る過程もまた、充実した幸せな時間」であって欲しい。
たとえ、志半ばで倒れたとしても、大きな目標を掲げて充実した人生を幸せだと感じることができれば、それはそれでその人は幸せだったのだ。
だから、今の幸せを追求してほしい。
今の自分が幸せだと感じられる生き方をしてほしい。
やりたいことをやろう
幸せは主観的なもの。
正解は自分の中にしかない。
結局、やりたいことをやればそれでいい、ということだ。
これが、「人生の学校」の教育理念だ。
ところが、誰か別の人の価値観で生きている人が多い。
誰かに教えられたことを気にして、人の目を気にして、評価を気にして、誰かと比較して、自分は間違えているのかを気にして。
そして、苦しむ。
やりたくないことをやっている、腑に落ちないことをやっている。
それは苦しい。
そういう人を減らしたい。
僕が「人生の学校」をやる理由はそこにある。
まとめ
幸せは主観的なもの。
人生に正解はない。
だから、自己満足を追求して、やりたいことをやろう。
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