中学生の次男が不登校になった。
やはり、実際に自分の身に降りかかってみないと解からないことは多い。
子どもが不登校になると親はこんな風に感じるんだなって、文字通りリアルに感じることが出来た。
これから書くことは、あくまでも「僕」が感じたことなので、すべての親が同じように感じるとは限らない。
その事を理解したうえで、僕が考えたことをまとめてみたいと思う。
ただサボりたいだけなんじゃないか
次男の場合、コロナの影響で、中学に進学しても2か月くらい学校が無かった。
学校からもらってきたプリントをこなすだけの日々。
内容も小学校の復習のようなものだと思っていたので、問題なくできるだろうと思っていた。
次男は、小学校を卒業する一か月前に、突然学校が休校になって、卒業式はかろうじて形だけ行われたけれど、中学校の入学式は行われなかった。
そんな状態だったので、精神的も不安定だったんだと思う。
プリントをやる気にもなれずに、ずるずると時間だけが過ぎていった。
そして、最初からつまづいた。
次男の場合、同じ小学校から同じ中学へ進学した友達が少なかったことも影響したんだろう。
通学が始まった当初から、学校へ行きたくないと言い始めた。
3か月もの長い間、自宅での生活が続いたものだから、その生活に慣れてしまってただ単に面倒だから行きたくないと言っていると思っていた。
つまり、サボりたいだけなんだと。
だから、無理やりにでも送り出して、中学校の生活リズムに慣れて、友達も出来れば問題は無くなるだろうと考えていた。
そんなわけで、最初の頃は、無理やり送り出していたんだよね。
カバンが重いだの、教科書が多すぎるだの、学校が遠いだの(小学校が近すぎた)、ぶつぶつ文句を言っていたけれど、親が無理やり追い出すものだから仕方なく通っている感じだった。
お腹が痛いと言い出した
一学期(実質2か月間)は、そんな感じて通っていたんだけれど、夏休みが終わって二学期が始まると、おなかが痛いと言い出した。
この頃から、さすがに「これは本当につらそうだな」と思うようになった。
それで、「おなかが痛いなら休めばいい。」と言うようになって、休む日が増えた。
この頃から、僕も「さすがにまずいことになってきたなあ」と感じるようになった。
親として心配したこと
果たして僕は、どんなことが「まずい」と感じたのだろうか。
その事について書いてみる。
勉強についていけなくなる
休む日が増えれば、勉強についていけなくなる。
すでに、一学期の期末テストは散々な結果だったから、もうこれは本格的に落ちこぼれる、という焦りが出てきた。
一学期の時点では、まだまだ中学生活も始まったばかりだし、いくらでも挽回ができると考えていた。
夏休みの間も、僕が数学を教えたりしていた。
でも、彼は数学が苦手だった。
自分一人では全くできなかった。
にもかかわらず、大量に宿題を出されていた。
先生としては、2か月の休校で焦っていたのだろうと思う。
それを夏休みに挽回してもらいたいと考えたのだろうけれど、彼の実力では、それをすべてこなすのは困難だと思われた。
子どもによって、理解のスピードは違う。
学習指導要綱のスピードについてけない子どももいる。
一度ついていけなくなると、追いつくのは至難の業だ。
そう感じていたところだったので、さらに、学校を休みがちになると、もう追いつくのは諦めざるを得ないと思った。
そうなると、この先、次男は苦労するだろうと心配した。
特に数学は、一度つまづくと、その先はずっとダメになってしまう。
そういう心配が頭をよぎった。
でも、次男は、「学校の勉強が生きていくうえで必要なのか?」と言ってきた。
「こんな勉強できなくても生きていけるだろう」
と思っていたのだ。
改めてそう問われると、
「できないよりはできたほうが良いだろう。」ぐらいのことしか言えなかった。
「どこで自分の人生に影響を及ぼすような知識に巡り合えるかもわからない。
今の段階で、必要ないと決めつけるのは良くないのではないか。」
とも思ったし、そういう話を次男と何度も話し合った。
しかし、彼自身も「それはそうだけれども」と言いながら、だからと言って、おなかが痛いのを我慢してまで学校に行く理由にはならなかった。
なぜなら、僕が言ったようなことは、「学校に行かなくてもできること」だからだ。
勉強ができないと良い人生にはならないという思い込み
なぜ、勉強についていけなくなると困るのかと言えば、結局のところ、進学の問題があるからだ。
つまり、高校受験だ。
良い高校へ行けなければ、その先は良い人生にはならない、という思い込みがあるのだ。
だから、勉強についてけないと困る。
僕自身の中にも、そういう心配があるんだなあ、ということに気がついた。
僕はカウンセラーなので、そういう思い込みはとうに捨ててきたつもりだったのだけれど、やはり我が子の問題となるとなかなか割り切れないと感じた。
中学で学ぶことは、ほとんどの人が知っている一般常識のレベルではないか。
そこがすっぽりと抜け落ちてしまうことは、この子の人生において、良いことは何もない。
きっと、将来大変なことになってしまうのではないか。
という思い込みがあるのだ。
でも、これは本当なのだろうか?
将来彼が、どんな仕事に就くことになるかわからない。
仕事によっては、中学時代に習ったことなど、全く必要がないということもあるに違いない。
因数分解が解けなくても、一次関数がわからなくても、生きていくうえで何の支障もない、そういう人生になる可能性はある。
それに、もし必要になったら、その時に学べばいいだけのこと。
今の時代、自分で学ぼうと思えばいくらでも情報を手に入れることはできる。
必要に迫られた時に勉強したほうが、理解も出来るし、身につくというものだ。
高校だって、インターネットを使った通信制の高校が増えている。
通信制の高校は、受験をせずに入学できるところも少なくない。
どうしても高校に行きたければ、そういう選択肢だってある。
実際に、長男は通信制の高校に入学した。
心配したくない
もし、次男がほかの子と同じように、普通に学校に通っていれば、こんなに悶々と悩んだり、心配したりしなくてもいいはずだ。
親としてはそんな心配はしたくない。
心配しないで済むなら、それに越したことはない。
余計な心配をさせないでくれ。
という気持ちは、少なからずある。
問題なく通ってくれていれば、親が学校との連絡を頻繁に取る必要もないし、食事の心配や、運動不足などの健康上の問題についても心配しなくていい。
将来のことについて、ああだこうだと心配する必要も、今のところはない。
余計な心配事を増やしてくれるな。
という気持ちもある。
だから、学校へ行ってほしいのだ。
心配するのが面倒くさいからだ。
でも、問題なく通学できているからと言って、心配しなくていいという理由になるのだろうか?
むしろ、問題を抱えながらも、本人が黙っていることによって、親が問題に気づけないということもあるのではないだろうか?
結局、子育てというのは、心配がついてくるものなのではないだろうか。
問題が表面化しただけ、良いことなのかもしれない。
嫌なことからとことん逃げる人になるのではないかという不安
「ちょっとでも嫌なことがあると逃げ回ってしまう人になるのではないか」という不安もある。
逃げ回っているだけでは良い人生にはならない。
それはそうだろう。
でも、「その嫌なことの先に何があるか」によって違うと思う。
嫌なことの先に、自分が欲しいものがあるのであれば、逃げずに立ち向かってほしいと思う。
でも、その先に自分の欲しいものが無いのであれば、無駄に我慢せずにさっさと逃げてしまったほうが良い。
今の次男にとって、嫌な学校に無理に通う意味を見いだせないでいる。
つまり、その先に自分が欲しいものが無い(見えていない)状態なのだ。
そういう子どもに対して、「嫌なことから逃げてはいけない」というメッセージだけを発信することが良いことだとは思えない。
「耐えられるようになる、嫌なことを我慢してできるようになることが、大人になることである」とは思ってほしくないんだ。
そうやって、「嫌なことから逃げてはいけない」と思い込んで、ブラック企業から逃げられずに病んでしまう人をたくさん見てきた。
嫌なら逃げればいいのに、って思ってきた。
その先に欲しいものがあるのか、ないのか。
その違いは大きいし、そこが最も大切なことだと思う。
ただ単に、「我慢することが美徳」ではないんだ。
子どもの未熟さが不安
偉そうな口を利いていても、やはりまだ中学生だ。
まだまだ人間として未熟なのだ。
親から見ると、その未熟な考え方で自分を正当化しようとしているように見える。
だからこそ、余計に心配になる。
そんなに甘い考えじゃ、先が思いやられるのだ。
でも、人間は成長する。
いつまでも未熟なままのはずがない。
この点については、自分の子どもの潜在的な伸びしろを信じるしかない。
そう、親は子どもを信じるしかないんだ。
子どもは自分の人生を生きている。
沢山の失敗を経験しながら、いろいろなことを学んで成長する。
自分だってそうだったじゃないか。
最初から大人だったわけじゃない。
最初から、世の中の厳しさを知っていたわけじゃない。
様々な経験を重ねるうちに、いろいろなことを身につけてきた。
子どもたちも、その人生の入り口に立っている。
いつまでも、未熟なままでいるわけがない。
子どもを信じるしかない
結局のところ、最後は子どもを信じるしかないと思う。
どんな人生を歩いてくのか、今の時点ではわからない。
解らないことなので、不安なのは当たり前のことなのだ。
親ができる事は、信じて見守るということだけ。
子ども自身も不安なんだ。
いったいこの先どうなってしまうんだろうか、と思っている。
子ども自身も、「何の問題もなく学校に通えたらどんなにいいだろうか」って思っている。
別に、サボりたくて学校に行かないわけじゃないんだ。
だから、親が子どもを信じてあげることで、子ども自身も安定する。
精神の安定こそが、子どもにとって必要なことなんだ。
まずはそこがベースなんだ。
そのためには、親が安定すること。
腹をくくって、「お前なら大丈夫」という構えをとること。
そこが出発点になるんだと思う。
まとめ
実際に自分の子どもが不登校になって、親の立場としていろいろと考えた。
そんな僕の結論は、子どもを信じることが一番大事だということ。
不登校になる背景には、いろんな問題があるだろうから、僕が感じたこと以外の不安を感じている人も多いだろう。
それでも、子どもの伸びしろを信じて、子どもの生きる力を信じて、成長を見守っていくしかないんだと思う。
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