昨日は、第6回人生の学校を開催しました。
テーマは「常識を疑え!」ということで、常識とは何か、常識に縛られないためにはどうすればよいのか、という問題について話をさせて頂きました。
参加してくれた方々からもいろいろなお話を聴かせていただき、私自身も沢山の学びを得ることができました。
また、「渕脇さんのお話を聴きたくて参加した」とか「ここに参加することが楽しみになっている」という言葉もいただき、とてもうれしく思いました。
常識とは何か
僕自身は、常識とは「ある特定の集団内における共通認識」であって、別の集団では通用しないものであると考えています。
にもかかわらず、人は「自分が所属している集団における常識」が、あたかも心理であるかのように錯覚して、それに縛られて苦しんだり、人生の選択を誤ったりすることがあります。
もちろん、国が違ったり、時代が変われば常識は違ってきます。
世代間ギャップなども、世代によって常識が違うことから起こってくるものです。
僕の世代の常識と、若い世代の常識は違って当たり前で、どちらのほうが正しいとか、そういう問題でもありません。
常識に苦しむ人たち
また、私自身もかつてそうであったし、私のところに相談にやってくる悩み事を抱えている人たちの多くが、この常識に影響されて苦しんでいます。
常識とは、決して普遍的な真理ではないということを理解したうえで、自分の人生を俯瞰的に、理論的に見ることができるようになっていただきたいと思います。
どんな常識に苦しんでいる人が多いのか
常識に苦しんでいる人が多いと書きましたけれど、具体的にどんなものがあるのかをいくつか挙げされていただきました。
昨日、お話をさせて頂いたものは、以下の通りです。
このほかにもたくさんあるのですが、僕が思いついたものを適当にあげさせていただきました。
- 学校の勉強が出来なければ良い人生にはならない
- お金をかけなければ学校の成績が上がらない
- 常に成長し続けなければいけない
- 将来のために今を我慢しなければいけない
- 仕事とは嫌なことを我慢してやるものである
- この世は弱肉強食の競争社会である
- 経済的な豊かさを得なければ幸せになれない
- 親は子どもの大学までの学費を出すものだ
- 親孝行をするのは当たり前、親に感謝しなければならない
- 親は子どもを愛しているのが当たり前
- 年長者を敬わなければいけない
この中には、学校の「道徳」の時間で習うようなものもあり、あたかも真実であるかのように感じるものも少なくありません。
これほど、常識とは私たちの生活に影響を及ぼしているのです。
主体的に生きる
昨日、参加していただいた皆さんとお話をしているうちに、やはり大切なのは「主体性」ということなのではないか、と思いました。
「これは常識だろう」と、周りの人から強要されているようなことでも、本人にとっては苦痛以外の何ものでもないということはあります。
それは、その人が心から納得していないからです。
人生を楽しく、充実したものにするためには、その本人が腹落ちする、納得することが大切です。
常識という言葉で思考停止してしまうのではなくて、自分の頭で考えて、自分で決断すること。
自己決定権を行使する、主体的に生きる。
そういう意識をもって生きていく事が、幸せになるためには必要なことだと思うのです。
自分で考えた結果、その集団における常識に対して納得できるのであれば、その人は苦しむことはありませんよね。
苦しいのは、自分の考えや自分を取り巻く状況と合わないからです。
自分の状況を考慮して、自分が納得する生き方をするということがとても大切なことなのです。
まとめ
常識とは真理でもなければルールでもありません。
自分所属している集団やその属性によって違うし、時の流れとともにどんどん変化していきます。
そんなあやふやで、実態が無いもの縛られて苦しんでいるのはバカバカしいと思いませんか?
常識が苦しいと思ったら、一度疑ってかかることをお勧めします。
次回開催のお知らせ
次回の人生の学校は、以下の日程で行います。
興味がある方は、ぜひ、ご参加ください!
■日時 5月17日(月)20:00~21:30
■テーマ 「受け入れる、諦める、手放す」
■ZOOMによるオンライン
■参加費無料
■お申込みは、Facebookイベントページかピーティックスより
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