器用貧乏から脱却する方法

講師 働き方・キャリア
スポンサーリンク

今日も、自分の思考をこねくり回す記事。

僕は自分のことを器用貧乏だと思っている。
何かを始めると、それなりにできるようになるのだけれど、それなりにしかできない。
できることはどんどん増えていくけれど、どれ一つとっても、刺さるほどのものにはならない。
飽きっぽいから、次から次へと興味の対象が移っていき、新しいことに手を出してしまう。
そして、できることがどんどん増えていく。
その繰り返し。

スポーツも仕事も色々やった

若いころはいろいろなスポーツに手を出した。
水泳、サッカー、ラグビー、テニス、自転車、トライアスロン、ゴルフ、スキー、ランニング。。

仕事も、騒音制御を8年やったら、全く違う整体の世界に飛び込んだ。
スポーツクラブの付属治療院でスポーツコンディショニングをやってみたり、ダイエットを研究してダイエットセミナーをやってみたり、O脚矯正に興味をもって美容整体をやってみたり。
自分がランニングを始めると、ランナーのコンディショニングに力を入れてみたりした。

そのうち、自分がうつ病になったことがあったら、うつ病のケアに興味を持つようになり、カウンセリングができるようにと産業カウンセラーの資格を取り、心理学を学び、公認心理師という国家資格も取った。心理を学ぶと教育が気になるようになる。教育問題や不登校問題にも首を突っ込む。挙句の果ては、人生の学校というオンラインイベントを毎月開催するようにもなった。

このままでいいのか?

実にいろんなことを学び、色々な経験をしてきた。
それは無駄ではなかったけれど、気がつけば、いったい自分はどこに軸足を置けばよいのか、全くわからない状態になっている。

58という年齢になって、先がそんなに長くないという状況になって、はてさて、この状態がずっと続くのはさすがにまずいのではないだろうか、と思うようになってきた。
そろそろ、最後の「できること」を考えたほうが良いのではないか、と思うのだ。

いろいろなことができるのは悪いことではないけれども、商売という面から考えると、いったい何が専門なのか、いったい何屋さんなのかわかりにくいのではないか、と考える。
なんというか、刺さらない。わかりにくい。

器用貧乏から脱却するには戦略を持つこと

今になって思うのは、結局、何も考えず、戦略もなく、ただ興味の向くままにやりたいことをやってきた結果が今の状態を作り上げたのだということ。

つまり、そこに明確な意思が無かった。
自分はこの路線で行くぞ、という、明確な戦略が無かった、という事なのではないか。

悩み、迷い、ふらふらと、その時の思い付きに従って生きてきた。
だからこうなった。

こういう状態から脱却するには、やはり意思が必要だ。
自分の専門分野はここだ!
という意志。
意思というか、戦略。
人生の戦略。

僕には戦略が無い。
だからブレる。

恐らくそういうことだろう。

最後の戦略を考える時が来た

いい加減に、戦略を考えないといけない。
もう、人生の残りは少ない。

最後までふらふらしながら生きて行くのはやっぱりいやだ。
それはそれで楽しい生き方ではあるんだけど、最後までこのままだとね。
さすがに、それはちょっとどうよ、という感じだ。

なので、決めようと思うよ。
自分の人生の最後をどこに向かわせるか。
ちょっと遅いと思うけど、まあ、ここまで来てしまったのだから仕方がないよね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました