「正解主義」の危険性:白か黒かで考えない

ダメだし母 マインドセット
スポンサーリンク

世の中には正解の無い問題があって、人生なんてその最たるものだ、というお話を前回の記事に書きました。

人生に正解はない
人生に正解はありません。正解を探し回っても、どこにも自分のことは書いていないのです。自分が満足するにはどうすればいいのか。それがわかる人は自分しかいないのです。

正解主義はどこから来るのか

本来、正解の無いもの、あるいは何が正解なのかよくわかんらない問題に対しても「どこかに正解があるのではないか」と考えてしまうことを「正解主義」と言います。

これは、日本の学校教育が、「正解を教えて覚えさせる」という教え方ばかりをして、正解の無い問題について考える、自分の意見を持つ、話し合う、議論する、ということに重きを置いていないことから、正解がどこかにあるのではないか、という感覚になっているのではないかと考えられています。

例えば、二つの選択肢があった場合、どちらにしても一長一短があり、どちらかが正解であり他方が不正解であると断言できない、ということは容易に考えられます。
自分の人生もそうですし、仕事上の決断も、国の政策に至るまで、どちらともいえないという物事はとても多いのです。

正解主義は分断を生む

しかし、どちらかが正解であれば、どちらが不正解になるわけですから、自分が正しいと思っていることと違う意見を「不正解である」として受け入れることができなくなってしまいます。
「私の考えが正解であって、あなたの考えは間違えている。」
とお互いが思っている場合には、違う意見に耳を傾けて検討しようという気になりにくいのです。
自分とは違う意見を言う人たちに対して、「あいつは間違えている、なぜこっちが正解だとわからないのだ、理解力が足りないか知識が足りないのではないか、要するにバカなのだ。」と、見下げてしまうことにもなりかねない。要するに、分断が生まれやすくなります。
SNSで行われている炎上騒動や、醜い罵りあいは二元思考の結果です。

また、権力者や目上の人や周りの雰囲気が、「どうやら自分が考えているほうとは違う方が正解らしい」となった時に、「自分は間違えているのかもしれない」と思ってしまい、自信をもって反対意見を言えなくなってしまいます。

人の意見に流されてしまう

もちろん、人生の問題についてもそうです。
自分はあっちに進みたいと思っているのに、多くの人がこっちに行こうとしている。あっちに行くことは間違えていると言ってくる。しまいには批判されたり、馬鹿にされたりする。
そういう状況になった時に、「自分は間違えているのかもしれない」と考え、自分が行こうとしている方向とは違う方を選択することになります。そして、後々、あの時はやはりあっちに行っておけばよかった、と後悔するのです。

自分と違う意見に耳を傾ける

このように、どちらか正解でどちらかが間違えである、という二元思考に陥ると、色々な人の意見を聴くことができなくなり、より深い思考や柔軟な発想ができなくなってしまう可能性があります。
しかし、単純に白黒つけられない問題はものすごく多くて、様々な角度から見なければ問題の全体像すら見えない、というような複雑な問題が絡み合っている場合もあります。そういう複雑さが理解できれば、自分とは違う意見を持つ人に対して、一定の理解を示すことができます。「ああ、あなたはそういう風に見ていたのですね。ここの見方が自分と違うのだけれど、この部分は同じですね。」というふうに別の見方をする人に対する理解も深まります。

第三のアイディアが生まれるかもしれない

このように、白と黒の間のグレーゾーンのどこかに解決する鍵がある。という問題が多いのです。グレーゾーンを意識することで、第三のアイディアが浮かんでくる可能性もあるのです。お互いの理解を深めるために、また、もっと良い解決方法を見つけるために、白か黒かの二元思考に陥らないようにすることはとても大切なことなのです。

少数派の意見を取り入れる

このような大切なことを、日本の学校ではなかなか教えてくれないのです。ホームルームなどでは、議論が深まる前に多数決を取って、それで決めてしまうことが多いですよね。
このようなやり方では「正解主義」に陥りやすくなり、多数派の意見が「正しい」ということになり、少数派は「間違えている」のであるからその意見は正当性を失ってしまうのです。

この問題は、個人の人生の問題に限らず、日本社会全体に大きな影響を与えていると言っても過言ではないと思います。
世の中のほとんどの問題は「正解の無い問題」です。
そのことを意識しておくことは、とても大切なことなのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました