質より量が大切なこともある-完璧主義では時間がかかってしまう

労働者 コラム
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量より質か、質より量か。
どちらかがいいのだろうか。

もちろん、量も質も上げていくのが良いのは当たり前なのだけれど、質を上げていくためには量をこなす必要はある。
もちろん、やったらやりっぱなしでは、なかなか質は上がっていかないけれど、それでも量をこなすことは必要になるだろう。

完璧主義では量をこなせない

完璧主義で、じっくりと時間をかけていたのでは、量をこなすことは難しい。
これでは、ある一定の量をこなすには時間がかかってしまう。
何かを習得しようとしたときに、成長のスピードが遅くなってしまう。

そもそも、最初から完璧なものなどできるはずが無いのだから、粗削りでいいから量をこなすことを優先したほうが良いだろう。

なぜ完璧主義なのか

完璧主義になりがちな人は、自分が「出来ない人」と思われることを恐れたり、間違いを指摘されることを恐れている場合が多い。つまり、自分に自信が無いのだ。

もちろん、すべての人がそうだとは限らないけれど、完璧主義の裏側には自信の無さが隠れている。

しかし、自分が足りていない部分をさらけ出したほうが、周りからの貴重なアドバイスももらえるし、フィードバックを得ながら修正を重ねることができる。

完璧を目指して、自分だけで試行錯誤を繰り返すよりも、フィードバックをたくさんもらったほうが成長が速いのは間違いないだろう。

心理的安全性の問題

ただ、粗削りのままでフィードバックを求めるためには、周囲の環境も影響する。
粗削りな部分を受け入れる環境があるかどうかだ。

前向きなフィードバックが得られず、厳しい叱責の言葉が返ってくるようでは、安心してフィードバックを求めることができない。
特に、自信が無い人にとっては、そういう環境ではストレスが高く、恐ろしい事だろう。

こういう状況では、安心して量をこなすことができなくなる。
すると、成長のスピードは遅くなるだろう。

人を成長させる環境とは、安心して相談ができる環境だと言える。
心理的安全性の高い環境に身を置いた方が、成長が速いのは間違いないだろう。

完璧が求められる場合もある

もちろん、仕事の内容によっては、完璧を求められる場合もある。
人の命にかかわるような失敗は許されないような場合である。

ただし、このような場合には、ミスが起こらないような工夫を最大限に行うことが前提だ。
システム上、ミスが起こりえないという状況を作るということ。

なぜなら、人は間違いを犯す動物で、ヒューマンエラーは絶対になくならないからだ。

まとめ

何かを習得する段階において、最初から完璧を目指してしまうと成長のスピードが遅くなる。
粗削りでもいいので、量をこなしていくことが大切。

しっかりとフィードバックを受けながら、工夫を繰り返すことで、質は後からついてくる。

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