昨日のブログでは、子どもの人生を自分の人生の一部であると勘違いをしている親の話を書いた。
親の価値観通りの人生を子どもに歩ませること。
それを目標に子育てをしている親が多い。
そして、親の価値観を植え付けられた子どもは、そこに閉じ込められてしまって生きづらさを感じてしまう。
そういう人が多いということ。
もし、自分がそのように育てられ、それが原因で生きづらさを感じているんだということ気がついた時にどうすればいいのか、ということについて書いてみたいと思う。
もしかしたら、当事者には辛い話かもしれないし、そんなに簡単に割り切れたら苦労しないよ、と思うかもしれない。
確かに、人によっては、そんなに簡単なことじゃないかもしれない。
でも、でもね、あえて書いてみる。
そして、じっくりと考えてほしいんだよね。
親を恨んでも何も始まらない
僕もかつてそうだったのだけれど、自分の人生がうまくいかない、生きづらい、苦しいと思ったときに、それは親育て方が悪かったせいだと思っていた。
僕の母親は、「人間こうあるべき」ということを常に言っていたし、その「あるべき姿」というのは、あくまでも「母親が考える」あるべき姿だったわけで、姉も含めてそれを教え込まれていた。
(だから、姉も相当苦しんでいた。もしかしたら、僕以上に。)
そして、そこから少しでも外れようとすれば、母親はキレて怒鳴り散らすこともあった。
だからどうしてもそこから外れることを許されず、母親が思った方向へ進まざるを得なかった。
もちろん、世の中にはこんな親ばかりではない。
子どものやりたいことをやれるように、思い切りバックアップしてくれる親もいるだろう。
しかし、僕の母親は違った。
だから、僕は彼女の価値観の範囲内で、精いっぱい妥協して生きていた。
それが自分を苦しめていることに気づいていたし、だからこそ、親を恨んでもいた。
自分がこれだけ生きづらさを感じているのは、親のせいだと思っていた。
親のせいにしていたのだ。
本当に苦しかった。
うつ状態に追い込まれて
その挙句の果てに、我慢の限界を超えてうつ状態に陥ってしまったのだ。
そのような状態まで追い込まれて初めて(ある意味、自暴自棄状態になって)、親の呪縛から飛び出すことができた。
それまで、親の意向をうかがいながら、それこそ「忖度」しながら生きてきたのだけれど、もうそれができない状態になった。
親の意向に反して、会社を辞めたのだ。
しかも、すべて事後報告で。
事後報告にしたのは、親を説得しても無駄だと思ったし、うつ状態だったので説得するエネルギーが無かった。
自分を守るためには、親を無視するしかなかったのだ。
当然、親はものすごいショックを受けていた。
そのせいで(もちろん因果関係はわからないけれど)、脳出血で倒れたくらいだ。
でも、僕にはもう忖度するエネルギーは残っていなかった。
自分の人生は自分で作る
その時になって初めて、自分の人生は自分で切り開かなければいけなかったんだって思った。
結局、自分の人生を自分で背負う覚悟がなかっただけだ。
それを、親のせいにしてごまかしていたのだ。
ある年齢まで成長したら、その先は自分のことを自分で育てなければいけなかった。
確かに、親の価値観から逃れるのは難しいとは思う。
色々な呪いの言葉をかけられているから。
それを振り払って、そこから出ていくのはエネルギーがいる。
でも、自分の人生だから、最後の責任を負うのは自分なんだ。
すべて自分に返ってくる。
その責任を負うのを恐れて、親の責任にしていた自分がいたことに気がついたのだ。
でも、親は責任を負ってくれない。
結局、すべてを背負うのは自分以外に誰もいないのだ。
だから、自分で作るしかない。
自分で育てるしかないのだ。
子どもが離れていくのは親が乗り越えなければいけない問題
自分の子どもが、自分の価値観の範囲から離れていくのは、親としては辛いかもしれない。
でも、その辛さを克服すのは親自身の問題なのであって、子どもが忖度する問題ではないのだ。
人生には乗り越えていかなければいけない苦しみがいくつかあって、子離れ問題もそのうちの一つなのだ。
だから、それに関して、子どもが気を使う必要はない。
そこに気を使って自分の人生を歪めてしまうことは、お互いにとって不幸な結末にしかならない。
自分が親を苦しめているのではないか、自分は親不孝者なのではないか。
そんな風に自分を責める必要はない。
まとめ
ある程度の年齢になったら、自分の人生に責任をもって、自分を育てていく必要がある。
いつまでも、毒親のせいにしてはいけない。
世の中には、ひどい親は沢山いる。
ひどい親に育てられたのにもかかわらず、幸せに暮らしている人もたくさんいる。
いつまでの親のせいにしていては幸せになれない。
自分の責任で、自分の力で、幸せな人生を作っていこう。
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