昨日の記事で、「自分を大切にしよう」ということを書きました。
それが、幸せになる第一歩だと。
さらに、同じ記事の中で、大切にするのと甘やかすとは違うということを書きましたが、このことについて、もう少し深く考えてみたいと思います。
ダイエットを例にして考えてみる
このブログは、ダイエットブログとして始めたので、ダイエットを例にして考えてみる。
ダイエットを例とすると、自分を大切にするというのは「自分の身体のためになる食事」をすること。
健康的な身体を作るために、身体が喜ぶ食事をする。
バランスの取れた食事を適量だけ摂取する。
それが、自分を大切にする食事。
では、「甘やかす」どうことかというと、食べたいと思うものを食べたいだけ食べること。
ケーキだろうが、お菓子だろうが、とんかつだろうが、そして、お酒も飲みたいだけ飲む。
自分の身体にとっては悪い事だけど、欲望のままに食べることが、甘やかすということ。
「大切にする」のは、長期的に見て自分にとってプラスになることをすること。
「甘やかす」は、目の前の欲に負けてしまって、それを続ける事によって長期的には自分にとってマイナスなことをすること。
このように考えることができるのではないか。
甘やかすのは悪い事なのか
ただ、ここで考えてほしいのは、はたして「甘やかすことは悪い事なのだろうか?」ということ。
僕はそうは思わないんだよね。
僕は、「たまには自分を甘やかす」ことが、実は人生を彩り豊かなものにしてくれると思っているのだ。
つまり、人生を豊かなものにするには、「甘やかす」ということが必要だと思うのだ。
「大切にする」が善で、「甘やかす」が悪。
というような二元論ではないと、僕は思っている。
どちらも必要なものだと。
大切なのは、バランスなのではないかと。
普段は「大切にしている」のだけど、たまには「甘やかしてあげる」ことが、楽しい人生を送ることになると思う。
その頻度とバランスが絶妙な人ほど、人生を楽しめるのだ。
ダイエットに例えると、普段は身体に良い食事をしているのだけど、たまにはケーキも食べるし、お酒も飲むし、ご馳走をお腹いっぱい食べることも必要なのではないか。という感じ。
「甘やかす」にも適量がある
僕は、スポーツトレーナーおよび整体師として、人間の身体について学んできましたが、人間の身体において何事も適量があると考えている。
「甘やかす」ということについても同じで、適量があると思うのだ。
善か悪かで考えていると、本来の姿は見えてこない。
適量、バランスという視点が必要だと思うのだ。
これは、「仕事」と「遊び」にも同じようなバランスが大切だという考えと同じ。
仕事があるから遊びが楽しいわけだし、遊びがあるから仕事を頑張れるということもある。
仕事ばかりでもつまらないし、遊びばかりでもつまらない。
味気ない人生になってしまう。
人生に彩りを添えるのは、適量の「甘やかす」という部分なんだと思う。
「甘やかす」ことは悪い事ではない
自分を「甘やかす」ことが悪い事だと思っている人は多い。
それは、子どもの頃にそういう教育を受けたからだ。
子どもは自分の欲望に素直だから、親から見ていると、自分を甘やかしているように見えてしまう。
そして、その親自身も、自分を甘やかすことが悪いことだと思っているから、それは悪い事であると教えてしまうのだ。
その教えを忠実に守ってきた聞き分けの良い子ほど、自分を甘やかすことに罪悪感を覚えてしまう。
問題は「バランスが悪い事」なのだけれど、甘やかすこと自体が悪い事であると教えられてしまってるのだ。
バランスを教えるのは難しい
それに、バランスを教えるってとても難しくて、不可能に近い。
なぜなら、バランスを取るには、その結果を受けて修正していくという試行錯誤が必要だからだ。
それは、本人しかできない作業なんだよね。
バランスを教えようとすると、そのバランスはあくまでも教える人にとってのバランスになってしまい、それが本人にとって最適なバランスかどうかはわからない。
自分にとっての最適なバランスは、自分にしかわからないのだ。
だから、我々は試行錯誤を続けていくしかない。
どの程度、自分を大切にして、どの程度自分を甘やかすのが良いのか。
自分なりにちょうどいいバランスを、常に模索し続けることが、人生を楽しむ秘訣なのではないだろうか。
まとめ
「自分を大切にする」とは、長期的に見て自分にとってプラスになることをすること。
「自分を甘やかす」とは、短期的に欲望を満たすことであって、長期的にはマイナスになることをすること。
しかし、彩り豊かな人生を送るには、時には自分を甘やかすことも必要で、そのバランスがとても大切であるということ。
そのバランスを取り続けることによって、良い人生を歩くことができる。
と、私は考えている。
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