余計なものはなるべく食べない

食事風景 健康的なライフスタイル
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食事風景

昨年の年末から新年にかけて飲み会が重なっていたことと、大晦日に風邪をひいてしまって体調がいまいちな状態が重なって、お正月はなんとなくおなかの調子が悪くて食欲がなかった。

そんな気持ちの悪さを新年早々に味わったものだから、今年はこういう状態をなるべく作らないようにしたいと思った。
そのためには、胃腸に負担をかけないような食事をしたいと本当に思うんだよね。
食事もそうだけど、お酒もなるべく飲まないようにしたい。

もともと、そんなに暴飲暴食をするような生活はしていないけれど、それでも月に2,3回は飲みに行くし、そのたびになんとなく胃腸に負担をかけている感じがしている。
そのうえ、日ごろからちょこちょこ、余計なものを食べている。
そういうものをなるべく食べないような年にしたい。

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余計なものとは

ここで僕が「余計なもの」と言っているものは、どんなものなのか。
一言でいえば、「僕の身体が必要としていないもの」ということ。

それは、目が欲しがっている、口が欲しがっているもので、それを食べることによって身体に負担をかけてしまうもの。

どんな食べ物でもそうだけれども、何かを食べるということ(飲むということも含めて)は多少なりとも身体に負担がかかる。
しかし、食べなければ健康的な生活を維持できないものもあるよね。
そういうものは必要な食べ物なので、負担がかかるのを承知で食べなければいけない。

しかし、特にそれを食べなくても、健康的な生活に支障が出ないものは食べる必要がないもの。
そして、それによって身体にダメージを及ぼすものは「余計なもの」ということになる。

楽しみとしての食は「余計なもの」なのか

ここで判断が分かれるのが、「楽しみ」としての食は果たして「余計なもの」なのか、という問題だ。

友人たちと楽しい食事をして酒を飲む。
そういう楽しい時間は、人生を豊かにしてくれる。

果たして、こういうものまで「余計なもの」として判定してしまってもいいのか。
その判断は人によって分かれるだろう。

僕も、この問題については、昨年までは「必要なもの」である判断していた。
だから、月に2,3回の飲み会を行っていたわけだ。

さらに、気分転換や一息つくときに食べるちょっとしたスウィーツなんかも、果たして「余計なもの」なのかどうか、ということも判断が分かれるところだ。

これについても、僕はある程度は「必要なもの」なのではないか、と判断していた。
昨年までは。

この判断基準も、今年は見直してみようと思うのだ。

目的は食べることではない

楽しみとしての食事会に参加することは良しとしよう。
それは必要な時間だと思う。
しかし、その真の目的は、友人たちとの交流であって、「食べる」「酒を飲む」という行為そのものではない。
したがって、友人たちとの楽しい時間を持てればそれでいいのであって、身体に負担がかかるほど飲み食いする必要はない。

気分転換のために食べる甘いものであっても、目的は気分転換であって甘いものは必ずしも必要ということではない。
いい音楽でも聴きながら温かい飲み物を飲むだけでもいいし、ストレッチをしたり、瞑想したり、外の空気を吸うのもいい。
そのほうが、身体にかかる負担は少ない。

なぜ、飲食をしなければいけないのか、ほかの方法ではだめなのか。
その事をよく考えてみようと思うのだ。

自分の持っている資源を有効に活用したい

年の初めだからこそ、そう思うのかもしれないけれど、今年は自分の持っている資源を十分に引き出して活用したいと考えている。
そのためには、時間を有効に使いたい。
だから、体調を壊して、集中力やパフォーマンスを落としてしまうことを避けたいと思う。

年頭に考えたことをいつまで続けることができるのかわからない。
毎年のことだけれども、すぐに忘れてしまうからだ。

でも、今年こそは、出来るだけ長くこの意識を持ち続けて、出来れば習慣化したいと思う。
年頭に体調を崩したのも、体調管理をもっと徹底せよ、という何らかの啓示ではないかと考える。

さて、こんなことをブログに書いて、結局できなかったじゃん、と言われないようにしないといけない。

まとめ

ものを「食べる」「飲む」という行為は、それ自体が身体に負担をかける。
その事を強く感じている。

時は金なり。
いいコンディションを保つということも、時間を大切に使うということになる。
体調を崩してしまうような食べ方をしないように、今年は心して過ごしたい。

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