僕が経営している、東大和市のあおぞら整体院には、いろんなクライアントさんがやってくるんだけど、そのほとんどが「いい人」なんだよね。
まじめに、一生懸命生きている人たち。
今の日本って、その「いい人たち」がとても生きにくい世の中だなあ、って僕は思っていて。
それで、僕は、そういう苦しんでいる「いい人」の力になりたいと思っているんだ。
真面目な人が疲れ果てている世の中
真面目な人は、一生懸命生きている。
物事がうまく進まないなら、自分が犠牲になって頑張ればなんとかなるんじゃないかと、仕事を抱えこんでしまう。
働き方改革で、残業するなと言われる。
でも、仕事は終わらない。
仕方がないから、家に持ち帰って仕事をする。
そのための対価はもらえない。
それどころか、自分の時間は削られる。
家族との団らんも、友人との時間も、趣味の時間も、睡眠時間も削られる。
それでも、まじめな人は黙って仕事をする。
本当は、マネジメントの問題なのに。
自分が時間内に終わらせることができないが問題なんだと、自分を責めて、自分の時間を犠牲にする。
「他人に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれている
僕もそうなんだけど、日本人って「他人に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれている。
確かに、他人に迷惑をかけてはいけないんだけれども、その「迷惑」という行為が一体どういうことなのか、掘り下げて考えたり、深いところまで教えられていないから、自分の意見を飲み込んだり、自己犠牲精神が出てきたりする。
だから、上司に異論を唱えたり、会議で自分の意見を言うことをためらったりする。
それを「迷惑」ととらえてしまうからだ。
協調性という言葉とセットになって、自己主張ができなくなっている。
また、誰かに助けを求めたり、協力を求めることに抵抗を感じる。
その人の時間を奪ったり、労力をかけてもらうことを「迷惑をかける」ととらえてしまうからだ。
実は僕も、そういう傾向にある。
誰かに協力を求めることをためらってしまうのだ。
誰かの力になることは喜び
しかし、なぜ僕は、心理カウンセラーとか整体師という仕事をしているかと言えば、誰かに助けを求められることが好きだからだ。
そして、そういう人は多い。
誰かが苦しんでいるということを知れば「何か力になれないだろうか」「自分にできることはないだろうか」と思う。
誰かに助けを求められたり、相談されたりしたらうれしい。
その結果、その人の力になれて、その人の問題が解決したり、その人が幸せになったら、それは喜びになる。
誰かを頼ることが、すなわち「迷惑」になるかと言えば、そんなことはないのだ。
もちろん、礼儀とか配慮は必要だ。
他人を利用する、うまく使う、という感覚であれば、それは「迷惑」以外の何ものでもない。
でも、そうでなければ、人に頼られるということをは悪い気分のすることではない。
まじめな人は自分を責める
日本の教育は、自分の欠点を修正していくことを意識させる教育になっている。
100点満点から減点していく「減点法」による採点方法や、受験勉強は、まさしく「出来ないことを意識して、それを潰していく」作業に他ならない。
こういう教育に疑問を持たずに、素直にそれを受けて入れてきた「まじめでいい人」は、自分の欠点をよく知っている。
そして、それを何とか克服しようと日々努力をしていくことになる。
しかし、これが原因で自分を責める人が大量に育っている。
自分のここがダメ、あそこがダメ。
欠点はいっぱい知っている。
自分には欠点がたくさんあるダメな奴であるという自己イメージが出来上がる。
自信がない。
自信がないから、自分の意見が言えない。
意見を言う資格がない。
だから、言われたことはやらなくちゃいけない。
みんなやっているんだから、わがままは言えない。
何かうまくいかないことがあると、自分を責める。
ますます、自分はダメな奴だと思う。
そして、ダメなところをなんとか克服しなければいけないと思う。
自分の欠点を熟知していて、それを克服しなければいけないと常に思い悩んでいて、自分を犠牲にして周囲の人に合わせ、人に迷惑をかけないように周りの人たちに気を遣って生きていく。
こうやって書くと、本当につらい生き方だと思うよね。
でも、そういう教育を受けてきているんだよ、僕たちは。
そういう風に育てられているんだ。
それを、まじめでいい人たちは、愚直にやろうとするんだ。
まじめでいい人は愛すべき人
でも、僕は、「まじめでいい人」が好き。
愛すべき人たちだと思う。
だから、そういう人たちの力になりたい。
そういう人たちが、もっと自信をもって活躍できるような世の中になってほしい。
そうすればきっと、幸せな社会ができると思う。
だから、ね、自分を責めないでほしい。
もっと、自分の長所に目を向けてほしい。
その長所を使って、補い合って、助け合ってほしい。
迷惑をかけていいとは言わない。
でも、助けを求めてもいい、と言いたい。
協力を求めてもいい、と言いたい。
(これは、自分に言い聞かせているんだけど。。)
愛すべき「まじめでいい人」たちに、幸せになってほしい。
それが僕の願いなんだ。
まとめ
まじめでいい人たちが幸せになれる社会を作りたいよね。
それが、僕が本当にやりたいことなんだ。
そのために、まじめでいい人に向けてのメッセージをこれからも届けていこうと思う。
僕自身も、かつて、まじめでいい人、だったんだよね。
ああ、もちろん今もね。
それでも、自分を責めるのをやめたよ。
まだ、人に頼るのがうまくできないけどね。
責めるのをやめるだけで、本当に生きやすくなった。
だから、そういうメッセージをどんどん出していこうと思うんだ。
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