誰一人として同じ人生を歩く人はいない-自己満足を追求しよう

グッド黒板風

僕は、うつ病になってサラリーマンを辞めて整体師になった。
整体専門学校の講師にもなった。
その後、心理カウンセラーにもなった。

整体師、専門学校講師、心理カウンセラーという経験を通して、本当にたくさんの人の話を聴いてきた。
人の話を聴くのが仕事になったからだ。

整体師になってからと、それ以前では、人生に対する考え方がまるで違った。
自分のうつ病の経験もあるけど、たくさんの人の話を聴いてきたという経験もまた、僕の考え方を変えてくれたと思う。

誰一人として同じ人はいない

当たり前すぎてあまり考えたことはないと思うけど、世の中には同じ人はいない。
顔も違う、能力も違う、体格も違う、環境も境遇も違う。
違うのが当たり前なんだ。

だから、ほかの人と比べることに意味は無いし、みんなと同じであることにも意味は無い。
多くの人と話をていると、本当にそう思うんだよね。

自分は自分だし、ほかの誰かにはなれないし。

人生も同じ人はいない

人生だって、同じ人生なんてどこにもない。
だから、ほかの人と比べることに意味は無い。

ある人はとてもうまくいって大成功を収めているかもしれない。
でも、それはその人の人生であって、僕の人生じゃない。

他人の人生を羨んでも、自分が幸せになれるわけでもない。
他人を蔑んでも、他人を叩いて悦に入っても、自分が幸せになるわけでもない。

自分の人生を素晴らしいものにしたいのなら、自分の人生に集中することだ。
だって、自分はほかの誰かになれるわけではないんだから。

正解の人生なんてない

人生に正解なんてない。
だって、みんな違うんだから。

よく考えてみると、正解の人生って「ほかの誰かの人生」ってことだよね。
どこかの教科書に載っているような人生を歩いて、それで「生きている」っていう実感が湧くわけがないんだ。

ほかの誰かの人生を歩いていて、幸せになれるだろうか?
自分の足で、自分の判断で、自分で決めた道を歩くから、幸せな人生になるんじゃないだろうか?

人生なんて、所詮、自己満足を追求していくものだからね。

giverになるのも自己満足

こんな風に書くと誤解されるかもしれないけど、「他人のために役に立つ」「人に尽くす」のも、その生き方が自分が求めたものならそれは自己満足を追求していることになるよね。
なぜなら、「誰かの役に立つこと」は単純に「嬉しいこと」だからだよ。
自分が嬉しいから、誰かを助けたいんだよね。
「誰かを助けられる自分でありたい」と願うからだ。

よく、自己啓発系の本とか、ビジネス系の本を読んでいると「giverになれ」って書いてあるよね。
そういうことを言う人の多くは、「最初にgiveすると、あとで返ってくる」みたいなこと言うんだよね。
僕はそういう論調には違和感がある。
まるで、見返りを求めているみたいで、いやらしさというか狡猾さというか、そういうものを感じるんだよね。

でも、単純に「giveすること」が気持ちいから、喜んでもらえると嬉しいから、もうそれだけで自分が満足するから、っていうほうがなんか好きだし、しっくりくる。
そして、誰かに必要とされる人間でありたいと思うんだよね。
それが、僕の自己満足なんだよね。

仕事もその延長上にありたい

仕事も、自己満足をさせてくれるものでありたいよね。
仕事に対してストレスを抱えている人は、そこがずれている人が多い。

仕事自体が自己満足を与えてくれない。
そこにギャップがあるんだと思う。

僕が会社を辞めたのも、突き詰めていくとそこが問題だったと思う。
僕の会社がとてもつもなくブラックだったかと言えば、そんなことは無いと思う。

もちろん、全く問題がなかったかと言えばそれは嘘になるけど、完璧な人がいないように完璧な会社もあり得ない。
そう言う意味ではブラックとは言えない。

でも、会社に居続けることが苦痛だったのは、自分が満足していなかったからだ。
満足している人にとってはいい会社だったと思う。

だから、人それぞれでいいんだ。
他人と比べることじゃないんだ。

まとめ

人生は自己満足だ。
自分と同じ人、同じ人生を歩く人はいない。

他人と比較したり、同じであろうとすることに意味は無いし、教科書通りの人生を歩くことにも意味は無い。
とことん、自己満足を追求していくことこそ、幸せな人生を歩くことなんじゃないかと思う。

だから、周りの人を気にするのはやめたほうがいい。
一番大切なのは、自分なんだよ。
自分を満足させることが、良い人生を歩くことにつながるんじゃないかな。