人は何らかの行動を起こす場合、かならず動機が存在する。
そして、心理学的には動機には「内発的」なものと「外発的」なものの2種類あるとされている。
それを、「内発的動機付け」と「外発的動機付け」という。
作家の天下伺朗氏はその著書の中で、「内発的動機付けに従って生きると幸せになる」というようなことを書いている。
僕は、この言葉に触れたときに、「やっぱり!」と思った。
僕自身が過去のうつ状態に陥ったのは、「心の声を聴いていなかった」からだと気づいていたからだ。
内発的動機付けと外発的動機付け
「内発的動機付け」というのは、自分の内側から湧いてくる感情が動機となっているということ。
興味があるとか、そのことが好きだとか、気持ちがいい、などの感情があって、それが原動力となって、その行動を行う場合を言う。
これに対して、「外発的動機付け」というのは、誰かに褒められる、周りからすごいと言われる、報酬、地位、名誉が与えられる、など、自分の外側から何らかの動機を与えられて行動する場合を言う。
内発的動機付けで動くと幸せになれる
内発的な動機がもとで行動するときというのは、自分がそれをやりたくてやっているのであるから、その行動自体が目的になる。
なので、やればやるほど、自分の欲求を満たすということになる。
こういう状態だと、もはやほかのことなど目もくれなくなってしまうし、そのエネルギーは自然と湧いてくるわけだ。
そして、時間を忘れてその行動に没頭してしまう。
例えば、僕の長男は小さいころ電車が大好きで、電車の図鑑をほぼ暗記していた。
字もろくに読めないはずなのに、その本に載っている電車の名前をすべて言えるようになっていた。
別に、誰かに覚えろと言われたわけではないし、全部覚えたらお小遣いを上げるとか、おもちゃを買ってあげると言われたわけでもない。
ただその本を見ているのが好きで、興味があったら、いつの間にか覚えてしまったのだ。
また、今、中学一年の次男は、パソコンが大好きで自分でパソコンを組んでしまった。
今では、僕の知らないことたくさん知っている。
これだって、誰に言われたわけでもないのに、いつの間にか覚えてしまったのだ。
僕自身も、サラリーマンをやめて整体の学校に通っていた時、毎日の勉強が楽しくて仕方がなかった。
自分が興味を持っていることを学ぶということが、これほどまでに楽しいことだとは知らなかった。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、好きなことをやっている人のエネルギーはすごい。
それに、それでたとえうまくいかなかったとしても、その行為自体に幸せを感じるのであるから、幸せになれるのは当たり前なのだ。
外発的動機付けで動くと意志力が必要になる
「外発的動機付け」というのは、地位や名誉、報酬など、外側から与えられる動機のことを言う。
これは、「心のおもむくまま」ではなくて、「頭で考えて」行動を起こすことだと言える。
小さい子どもは、自分の内発的な欲求に従って動いているので、「頭で考える」ということはしない。
しかし、成長するとともに「頭で考えて」行動を起こすことができるようになる。
これによって、社会性や集団行動などができるようになってくるのだ。
こういう背景があるので、「外発的動機付けに従って行動」というのは「頭で考えて行動する賢い大人」の行動だと考えられている。
周りの状況や時代の流れを見て、きちんと頭で考えて、合理的な判断を下して行動する。
自分を律して行動できるようにならなければいけない。
それが大人になることだ。
というイメージがある。
しかし、これがもし、自分がやりたくないことを報酬(または安定した収入)や地位や名誉のために自分がやりたくもないことをやるということになると、それは強力な意志力が必要になってくる。
内発的動機付けの場合は、無尽蔵にエネルギーが湧いてくるのに対して、外発的動機付けだと、自分を奮い立たせるための余計なエネルギーが必要になってくるのだ。
この状態で、果たして幸せを感じることができるのだろうか?
私にはそうは思えない。
頭の使い方を考える
もちろん、大人になってまでも、子どものように好きなことばかりをやっているわけにはいかない。
だからと言って、さすがに嫌いなことをやるのは、エネルギー効率が悪すぎる。
内発的動機付けに従って生きるというのは、そのエネルギーを利用する方法を「頭で考える」ことが大切なのではないかと思う。
それが大人になるということだし、本当に賢く生きるということになるのではないか。
内発的なものを「バカバカしい」とか「子どもみたい」だと言って、それを我慢するのではなくて、そのエネルギーをうまく利用して、社会で生きていく方法を考える。
それが頭の仕事なのだ。
まとめ
大人になる、というのは、内発的動機付けを無視するとか、諦めるということではなくて、そのエネルギーを利用して、生きていくにはどうすれはいいのかを戦略的に考えられるようになるということ。
あくまでも、ベースに内発的な動機が無ければ、幸せな人士にはならないのではない。
ただ、これはそんなに難しいことではないと思う。
少しでも、やってみたとか、興味があるとか、そう感じるものをやればいいというだけのことだ。
幸せや報酬は他人と競うものではない。
自分が満足することが一番大切なのだ。
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