人生観が生きづらさに大きく影響している

パラグライダータンデム
Vlad Hilitanu

あなたはどんな人生観を持っていますか?
そう聞かれてすぐに答えられる人はあまりいないのではないかと思う。

それは、いつの間にか無意識のうちに自分のイメージの中にあって、普段それを意識することはないし、ましてやそれを疑ってかかるということはないからだ。

しかし、いつの間にか無意識下に刷り込んでしまった人生観によって生きづらさが全く違ってくるし、当然のことながら、その人の人生に多大な影響を与える。

これは紛れもない事実なのにもかかわらず、多くの人はここを意識しようとしないし、ましてや、これが変えられるとは思っていないし、変えようとも思っていない。

でも、充実した人生を歩こうと思うのであれば、ここを意識的に変えていくことは避けて通れない。
心理カウンセラーとして、多くの悩める人たちの話を聴いていると、そのことを強く感じる。

ちなみに、徳川家康の人生訓には続きがあって、全体を読むと「だからまあ、欲張らずに、焦らずのんびり行こうや」というニュアンスになる。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

人生観は人それぞれ

僕はかつて、徳川家康の人生訓の最初の一行目の言葉、「人生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし」というイメージを持っていた。
どうしてこんなイメージを持つようになったのかは定かではないけれど、おそらく両親の影響であろうと推測する。こんな人生観を持っていたのでは、人生は苦しかろうなあ、と思うよね。

でも、当時は、「人生とはそういうものだ」と信じて疑わなかったので、みんなそう思っているんだろうという感覚だった。それは常識で、疑いようのない事実であるという感覚があったんだよね。

ところが、僕が30歳のころ、当時の職場に短大を出たばかりの20歳の女の子が入社してきて、その子がなんかのきっかけで「人生はゲームですよね。」って言ったんだ。

僕はそれを聞いて、こころの中で「人生はそんなに甘くないぞ。何を言っているんだ。わかってないな。」って思ったことを覚えている。

ところが、その後、僕はうつになってしまう。
そして、うつになって気がついたんだ。

人生は苦しいものである、と思っていたから、自分から苦しい道を選択して、その挙句にうつになったんだなって。
もし僕が、「人生はゲームで、楽しんだもの勝ち。」という人生観を持っていたら、もっと違う人生を歩いていただろうということを確信したんだ。
だから、「人生はゲームだ」という人生観を持っていた彼女を馬鹿にする資格は、僕にはなかったということを思い知った。

人生観に正解はない

人生観には正解はない。
だから、他人の人生観を馬鹿にする資格はないし、自分の人生観に固執する必要もない。

もっと柔軟に人生観を変えてしまっていいと思う。

どうせ一度きりの人生なのだから、わざわざ苦しい人生観を持つ必要はない。

人生はゲーム。
人生は冒険。
人生は旅。

こんな感じなら、ちょっとワクワクするでしょう?

でも、

人生は修行。
人生は苦行。

こんな感じだと、なんだか生きるのが辛くなってくるよね。

どうせ、正解はないんだからワクワクするほうが良いと思わない?

辛い人生観だとストレスが増大する

なぜかわからないけれど、真面目な人ほど、辛い人生観を持っているような気がする。

常に努力を続けて、成長し続けなければいけないと思い込まされている。
それは、子どものころから、そういう価値観を植え付けられているからだ。

学校の先生や親、周りの大人たちがから、頑張れ頑張れ、と言われ続けて、このままでは将来が不安だとか、社会ではやっていけないとか、散々脅されてきたのを素直に受け止めてしまった結果なのだ。
こういうイメージを持って生きていれば、ストレスが増大するのは当然のこと。

あなたの生きづらさは、苦しい人生観を持っているからかもしれないのだ。

まとめ

人生観は人それぞれだし、正解があるわけではない。

苦しい人生観を持っていると、自分から苦しい選択をして、苦しい人生になる。
ワクワクする人生観を持っていると、ワクワクする選択をして、ワクワクする人生になる。

どうせなら、人生観を変えてしまったほうが良い。
人生観を変えるだけで、生き方が変わってくるのだから。