【学び】てらりーまん慈永さんに学ぶ、心穏やかに生きる方法-第49回サードプレイスラボ

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昨日は、第49回目のサードプレイスラボに参加して、サラリーマンでありながらお坊さんという、「てらりーまん慈永」さんこと、木村信幸さんのありがたいお話を伺う機会に恵まれた。

サードプレイスラボは、友人の安斎輝夫さんが主催する勉強会で、毎月一回のペースで、様々な学びの場を提供してくれている。

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今年最初の勉強会では、サラリーマンでありながらお坊さんという、異色の活動をされている木村さんの、コロナ時代を生きやすくするための考え方についてお話を聴かせていただいた。

てらりーまん慈永さんのnote↓

お坊さん&サラリーマンなひと、って、なんて呼ぶの? はい、''てらリーマン''の「慈永」ですっ!|note
「言葉」が持つ力で、人びとの「気づき」を引き出せるお坊さんでありたい。人生の醍醐味は、深い気づき。それは一瞬で、数十年の人生さえ塗り替える。苦を抜き、楽を差し上げるのがお役目。たまぁーに、RPAメディエーターな投稿 

昨日のお話の中から、私の印象に残ったことをまとめてみたいと思う。

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何かを失えば、何かを得る

新型コロナウィルスによって、失われたものは沢山ある。
しかし、それによって得られたものもたくさんある。

一見、悪いことが起こったように見えても、必ずプラスの面があるということ。

メディアでは、失われたものにスポットが当たっているけれど、得られたものもたくさんあるはずで、そういうモノもちゃんと見ていく必要があるとのこと。

慈永さんは、世界中の人たちが経済活動を控えたことによって、二酸化炭素の排出量が減って、大気汚染が軽減されていることに触れて、そのようなお話をされていた。

新型コロナウィルスの影響は、人の移動が制限されたことによって、飲食業をはじめ、観光業や交通機関には大きな打撃となっているけれど、インターネット通信業者や、パソコン業者、通販関連に関しては逆に好調だ。

健康産業に長く従事している僕としては、「体調が悪くても無理して働くことが良いことである」とされていた価値観が、「無理をして仕事をすることは決していいことではない」という方向へシフトしていく事は、とてもいいことだと感じている。

差を取り払う→差取り=悟り

何かと何かの差を気にすることは、すなわち、比較すること。
比較して、どちらが得か、プラスかマイナスか、それを気にすることは、とても生きづらい。

そうではなくて、その「差を取り払うこと」。
すなわち、くらべないこと、どちらも大切にすること。
それが、「悟り」につながる。

なるほど、そういう考えがあったのかと、感心した。

二極化に流れない

世界が分断されているということが話題になっている。
これについては、僕はもうずいぶん前から気にしていること。

こと、健康に関して言うと、極端な言説に人々は流れてしまう。
極端な主張は単純で、人々はどうしてもそこに引っ張られてしまう。
そうして、反対側の主張をする人たちを馬鹿にして攻撃をする。
そうやって、分断は進んでいく。

健康に関してもそう。
運動をすればすべて解決する。
という主張する人もいるが、そうともいえない。
やり過ぎは良くない。
ケアや休養も必要である。
ちょうどいいところというのがある。

ところが、このちょうどいいところ、というのが難しいのだ。
掌の上で、傘を立ててバランスを取るように、常にフィードバックをして微調整をする必要がある。

分断にしてもそうだ。
ちょうどいいところを探るためには、常に対話をして、落としどころを見つける必要がある。
調整をし続ける必要がある。

これは、言うは易し、行うは難しなのだ。

コロナの問題はまさにそうで、経済を生かしながら感染症の対策をするのは難しいのだ。
ロックダウンでもして、みんなが家にこもっていればいいのだろうけれど、そう単純にいかない。
それでは、経済が死んでしまって、生活苦から自殺する人が出るかもしれない。

だからと言って、コロナはただの風邪であるとして、まったく対策をとらなくていいのかと言えば、それも出来ない。
現に、医療が崩壊しそうなのだから、対策をとらざるを得ない。

ちょうどいいところ、というのは難しいのだ。

難しいからこそ、人は易きに流れる。
極端な主張のほうがわかりやすく、人々を惹き付けることができる。

お釈迦様の言う「中庸」も、おそらくそいうことだと思うのだ。
ちょうどいいところがあるよ、という意味だと思う。
ところが、ちょうどいいというのが難しいのだ。
難しいからと言って、諦めてはいけないのだ。

一如とは

表があるから裏がある。
裏があるから表がある。
表は裏であり、裏は表である。

黒と白があるから、黒を黒だと認識することができる。
違うものがあるから、認識することができる。

こういう考え方は、とても東洋的だと思う。
僕の専門である、健康関係に関連して、以下のようなことを考えた。

西洋医学では、病気は悪であり、健康が善だと考える。
だから、病気は徹底的にたたく。

しかし、東洋医学では、病気は身体のサインであり、必要なものだと考える。
病弱である事は悪ではなく、サインが早く出る敏感な身体であると捉える。

実際に、病弱な人は普段から養生に気を遣う。
結果的に長生きすることもある。
むしろ、身体が丈夫な人のほうが、サインが出た時(症状が出た時)には手遅れということがある。
タフな人ほど、気を付けたほうが良い。

また、病気があるから、健康のありがたみがわかる。
病気も健康も、その人の体調である事には変わりはない。

そんなことを連想した。

人は、教わったように生きていく

人の生き方って、どこかで誰かに教わったものだと。
なぜなら、知らないことはできないからと。

これはまさにその通りで、だからこそ、いろんな生き方があるということを、私たちは誰かに教わる必要があるのではないか、と考えている。

生き方の学校があればいいな。
僕はそう考えて、「人生の学校」を始めることにした。

生き方を教わる機会があれば、もう少し楽に生きられるのではないか。
僕はそう考えている。

次回の人生の学校は、1月18日(月)20時から。
テーマは「幸せ」。
言いたいことが山ほどある。
90分じゃ収まらない。

もし興味がある方は、ぜひご参加を!

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まとめ

慈永さんのお話の中には、心理カウンセラーとして、僕が普段から考えていることが沢山出てきた。

僕自身、そんなに信心深い方でもないけれど、やはり日本人だし、一応、仏教徒だと思っている。
そういう、仏教的な思想が、僕の中に根付いているのだと思う。

慈永さんのお話を伺っていて、そう考えさせられた。

考え方次第で、モノの受け取り方次第で、私たちはもっと生きやすくなる。
僕はそう思っている。

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