【学び】週刊プレイボーイの元副編集長の話を聴く-第33回サードプレイスラボ

33回サードプレイスラボ

昨日は、私の友人の安斎輝夫さんが主催している、サードプレイスラボに参加してきた。

安斎輝夫さんのブログ

昨日の話題は、週刊プレイボーイの元副編集長で、現在は集英社新書の編集者をしておられる、東田健さんのお話を聴く、というもの。

僕は、東田さんにはとてもお世話になっていて、本を書くためのアドバイスをいろいろといただいているのです。
そんな東田さんが週刊プレイボーイ時代の話も含めて、赤裸々に自分のことを語ってくれるということでしたので、楽しみ参加してきた。

昨日は、これまた僕が個人的にお世話になっている、徳本昌大さんとの対談形式で話を進めるということもあって、いったいどのような話になるのか、これもまた、楽しみの一つだったんだよね。

徳本昌大さんのブログ

東田さんとは何回も飲んだり、僕が開催しているカウンセリングセミナーにも参加してもらったりしているので、いろんな話沢山してきた。

でも、プレイボーイ時代の話などはあんまり聞いたことが無かったで、その辺を聞いてみたかったんだよね。
そんな東田さんと徳本さんの対談の中で、気になった言葉をピックアップしてみた。

東田さんが編集した本 日本人は「やめる練習」がたりてない を紹介したブログ記事

おかしなことはおかしいと言わなければいけない

東田さんが週刊プレイボーイという雑誌の編集者だったという経歴なので、やはり、話題はメディアの話になった。

最近のメディアはおかしい。
リスクを取らない記事が増えている。

やっぱりそういう話題になった。

東田さんが週プレ(週刊プレイボーイの略)の編集をやっていたころには、今よりももっと、リスクをとる記事を書いていたと。

リスクをとるというのは、例えば、取材対象と揉めるとかね、訴えられるとか、そういうこと。

特に、政治家とか権力を握っている側に突っ込みを入れる。
そういう記事が減ったと。

みんな、なんだかお利口になってしまって、「おかしなことが起こっているのに、誰もなにも言わないようになっている。仕方ないという人が多いんだろうな。」と。
それでも、「仕方なくない!」と声に出すことが大事なんだと。

僕自身も、こと健康に関することにおいても、「おかしいだろ!」と思うことはたくさんある。
このブログにもたまに書いているけれど、まだまだ甘いなあ、と反省。

雑誌を作っていると、怒られたり、訴えられたりすることは覚悟のうえで書いているとのこと。
そういう覚悟のうえで、あえて書いたり声を上げる人たちがいるから、おかしなことを是正できるようになるわけで、みんながいい子になって黙ってしまっていてはだめだよね。

僕もそれくらいの覚悟が必要なんだと思う。
おかしいことはおかしいと、主張してくことが大切なんだよね。

大人が楽をするために若い子たちを犠牲にしている

今の子どもたちを取り巻く環境。
「大人が楽をするために子どもたちが犠牲になっているのではないか。」

教育についてもそうだし、子育て中の人たちに対する冷たい視線についてもそうだよね。

ひとりの教師が40人もの生徒を相手にするなんて、それで質の高い教育ができるわけがないよね。
ところが、教育にも効率を求めてしまうから、みんなが同じ勉強をすることになる。
これなんかも、大人が効率的にやりたいから、子どもが犠牲になっているといういい例だと。

結局、大人たちに余裕がないから、子どもたちの相手をするのがしんどいんだよね。
子どもって自由だから。
大人が振り回されてしまうから。
だから、子どもたちを抑圧しているんだよね。
振り回されないように。

それで、子どもたちに我慢を強いる。
我慢ができる子がいい子。
大人に従順に従う子がいい子。
そんな風に、子どもたちを育ててしまう。

だから、おかしいことがあっても、おかしい問い合わない人が増えるんだ。
そこがつながっているんだよね。
そういう世の中になっているような感じがする。

だけど、次の社会を作っていくのは子どもたちで、大人はどんどん年老いていって、若い人たちに支えてもらわなくちゃいけなくなるんだよね。

にもかかわらず、若い人たちを犠牲にする社会は、絶対にいい社会になるはずがないのに、そこに気が付かない人が増えている。
これは、僕が最近一番危惧しているところかな。

大人が変わる必要がある

東田さんが、今、興味を持っているのは教育だということ。

東田さんが考えていることと、僕が考えていることはとても近くて、それは、飲んでいて意気投合してしまう原因なんだけれども、僕自身も教育にとても興味を持っている。

でも、そのためにはやはり、大人が変わらないとだめなんじゃないかと東田さんは言っていました。

この問題は、僕自身もずっと考えていることなんだけど、子どもは大人の背中をみて育つわけで、大人が変わらないと、子どもが変わらない。

子どもが変わらないと、将来にわたって変化がないということになってしまう。
どちらがタマゴかニワトリか、という話なんだよね。

だから僕は、変わらなくちゃいけないと気が付いた人たちから変わっていくしかない、とおもっている。
大人とか、子どもとか言っている場合じゃなくて、気が付いた人からどんどん変わっていく。

それしかないと思うんだよね。

共感資本主義

僕も、昨日のブログでも書いたんだけど、東田さんもやっぱり資本主義社会が行き詰っていると感じている。
それで、その次に来るのは何か、との質問に、東田さんは「よくわからないけど、共感資本主義的なもの」と答えていたんだあよね。

共感資本主義という言葉は初めて聞いた。
でも、いい言葉なだあって思ったんだ。

僕も、この言葉には詳しくないので、僕が想像するのは、あるビジネス、ある商品を提供する側の「思い」に対して「共感」する人たちが、そのビジネスや商品を購入したり、サービスを利用する。
その「共感」が原動力となって、ビジネスが動いていく。

そういうシステムを言うんだろうと思う。

でも、これはとても大切なことだと思うし、それはそんなに新しい話でもなくて、昔からそういう購買動機はあったはずなんだよね。

これからは、そういう動きがより顕著になって、「共感」が世の中を動かしていくようになるのかもしれない。

まとめ

東田さんと徳本さんのお話を聴いていて、僕はものすごく背中を押されたような気がした。

おかしいことはおかしいということが大事なんだってこと。

僕は、おかしいと思っていることがとてもたくさんあって、このブログにもいろいろ書いているけれど、まだまだ、遠慮している部分もあるんだよね。

それは、やっぱり批判されたくないとか、僕なんかが言っても説得力ないかなとか、まあ、言ってみれば余計なことを考えているんだよね。

でも、もうそんなことを考えている場合ではないなと。
これからは、もっと、言いたいこと言っちゃおうと。

そんな気分にさせられました。
ありがとうございました。