人生には、様々な問題が立ちふさがります。
その問題をどのように解決すればよいのか、と、悩むことは多いですよね。
このような時に、
「どうするのが正解なのだろう?」
「私の選択は正しいのだろうか?」
と、無意識のうちに考えてしまう人は、その問題を解決するための「正解」を探している人です。
正解を探してしまう心理
正解を探してしまう心理にはいろいろあると思います。
「自分で考えてもわからないから誰かに教えてほしい。」
「失敗したくない。」
「もっと大変なことになったら困る。」
などがあるのではないかと思います。
しかし、それ以外に、無意識のうちに「どこかに正解がある」という感覚を持っているということがあるのではないかと思います。
そもそも、日本の教育は、「正解を教えてもらってそれを覚える」という行為が「勉強すること」であるという教え方をしているのです。
先生が認めてくれたら正解。
誰かのジャッジによって、正解と不正解がわかって、不正解だと大変なことになるという感覚が無意識のうちに醸成されているのです。
親や先生や先輩や上司や専門家や政府の言うことが正解で、自分の考えは間違えているかもしれない。
という感覚が、無意識のうちに刷り込まているのです。
だから、人生の問題についても、どこかの専門家が正解を知っているのではないか、という錯覚を持っているのです。
正解のない問題が沢山ある
しかし、世の中には「正解のない問題」が沢山あって、人生の問題にはそういうものが沢山あるのです。
人生の岐路において、例えば、進路において、「大学に進学するのか就職するのか、どちらが正解か」と考えた場合、果たしてどちらが正解とかあるのでしょうか?
本人が満足していれば、どちらも正解だと思います。
また、しばらくは正解だと思っていても、いろいろな状況が変化した場合には、「ああ、やっぱりあっちにしておけばよかったかな」と思うこともあるでしょう。
それを、あたかも「こっちの方が正解だよ」と言ってくる人がいたとしたら、その人はとても無責任な人だということがわかります。
誰も、あなたの人生に責任など取れないし、また取るつもりもないわけです。
しかし、他人の人生に多大な影響を与えてしまうかもしれないようなことを、無責任に軽々しく行ってしまうのは、無責任な行為だと言えるでしょう。
自分で決めることの大切さ
自分の人生において、その選択の結果をずっと背負っていくのは自分なのです。
したがって、「この選択は自分で決断したんだ」という感覚を持つということは、人生を充実したものにするためには、とても大切なことなのです。
どこかの誰かが「正解」であるとした選択に、何の疑いもなく、自分の考察もなく、無自覚に従った場合、その決定に対して自分で責任が取れるのかどうか。
もちろん、いろいろなアイディアを集めるために、他人の意見を聞いてみることは必要です。
そのうえで、最終的に自分の意志で決めるのであれば、問題ありません。
大切なのは、「自分で考えて、自分で決める」という感覚を持つかどうかです。
好きなように生きていい
人生に正解はありません。
自分で考えて、自分が思ったように生きればよいのです。
その結果を引き受けるのは自分ですから、自分が満足するように生きればいい。
思うような結果になってもならなくても、「自分の人生を生きている」という感覚を得ることができます。
「正しいかどうか」ではなく、「どうしたいのか」が問題なのです。
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