人生の目的は「幸せになること」です

子どもと海 エッセイ
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あなたにとって、人生の目的は何ですか?
そう聞かれたら何と答えますか?

僕個人の意見としては、人生の目的なんて考える必要はないとは思います。
日々、目の前にあることを淡々とこなしているだけでもいいと思うんです。
だけど、ただなんとなく生きているよりは、目的があったほうが人生が彩り豊かになるんじゃないかなあ、と思うくらいです。

私たちは、物心ついたときにはもうすでに人生を歩き始めていました。
したがって、人生の目的をもって生まれてきたわけじゃないんですよね。

幸せについての普遍的な答えはない

僕が、自分の子どもたちに期待することはただ一つだけで、それは「幸せになって欲しい」ということです。

じゃあ、「幸せって何?」っていう問題については、これはもうその人の価値観の問題なので、僕がとやかく言うような問題ではないんです。
子ども自身が「幸せだな」って思えるようであって欲しいというだけのことです。

「何が幸せか」という問いには、普遍的な答えはありません
だから、人生の目的を考える上で必要なのは「自分にとっての幸せとはなにか」ということなんだと思います。

これは本当に人それぞれなので、「オリンピックで金メダルを取る」というような、ものすごく高い目標でも良いですし、「仲の良い楽しい家庭を作る」でも良いですし、「好きな趣味を存分に楽しむ」でも良いし、「平凡で人並な人生を送る」でも良いのです。

人生はその人のものだから、その人が満足していればそれでよいのです。
他人と比較することできないし、他人から評価されるものでもないし、他人の価値観で生きて行くことでもないと思うのです。

自分にとっての幸せな人生ってどんな人生か、という問いに対して、すぐに答えられる人もいると思いますが、すぐには応えられない人もいるでしょう。

幸せのイメージは時々刻々と変わっていく

僕はいま57歳なのですが、この歳になって振り返ってみると、自分にとっての幸せな人生のイメージは、時々刻々と変わっていくものであると感じています。

もちろん、若いころと今では違いますし、そんな長いスパンの話ではなくて、もっとも短い時間で変わることもあります。

朝起きた時に考えていたことと、夜寝る前に考えることは違うかもしれない。
それくらい、自分の価値観や自分の考えなって、ゆらゆらと揺れ動いているのものだと思います。
なので、「あなたにとっての幸せな人生ってどんな人生ですか?」と聞かれてすぐに答えられなくても、それはそんなに大きな問題ではないと思います。

だけど、どこかでいつも、「自分にとっての幸せって何だろう?」ということを考えている、ということはとても大切なのではないかと思います。

軽薄な欲求に振り回されない

人間って案外、目の前の表面的で軽薄な欲求に振り回されてしまって、本質的な問題について考えられないものなのです。

目の前の表面的な欲求というのは、例えば、お金が儲かる方法とか、異性にモテル方法とか、楽をして得をする方法とか、そういうことです。

でも、「自分にとっての幸せ」についてちゃんと考えていると、例えば、「楽に儲かる」という甘い言葉に誘われて闇バイトに手を染めることが、いかに自分の幸せを損なう行為であるか、ということに気がつくのではないと思うのです。

でも、「楽に儲けられる」ことが幸せになることである、という短絡的な思考に染まっていると、この甘い言葉に乗ってしまうことがあるわけです。

「自分が本当に求めているものは何か」を知っておくことは、とても大切なことだと思います。

まとめ

さて、あなたにとって幸せとは何ですか?
この答えは、あなたの中にしかありません。
グーグル先生も教えてくれません。

いつも、頭のどこかで考えておくことが大切なのです。

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