とても面白い本を読んだので、ぜひ、ここに紹介したいと思います。
タイトルから惹かれますよね~。
日本人は「やめる練習」がたりてない 野本響子著 集英社新書
著者の野本響子さんは、マレーシア在住の日本人。
もちろん、日本生まれの日本育ち。
典型的な日本の家庭で育った野本さんだったが、とあるきっかけからマレーシアに友達ができる。
そして、自分の子どもが不登校になったのをきっかけに、マレーシアへの移住を決断。
マレーシアの文化に馴染んでいくにしたがって、日本人の特徴や日本社会が抱える問題に気づいてく。
ある社会や集団に所属していて、その渦中にあるときにはその集団のことはよくわからないが、一度外に出て外側から眺めることでよく理解できるようになる、ということは往々にして起こる。
日本で生まれ育った野本さんが、マレーシアで子育てをしていく中で気づいた日本社会の問題点。
私が、心理カウンセラーをやりながら、心病む人たちと向き合う中で感じている問題点にも通じるお話が満載で、まさに、我が意を得たり、という感覚になった。
日本社会に暮らし、生きづらさを感じている人は、ぜひ一度手にとって読んでみることをおおススメします。
私が個人的に面白いと思ったところを、かいつまんで書いていきたいと思います。
何歳から学校に通ってもいい
日本の小学校は、4月1日時点で6歳の子がみんな一緒に小学校に入学します。
そして、中学を卒業するまでには、落第する子もいないし、飛び級でどんどん上がっていく子もいません。
ところが、マレーシアの学校は、いつから学校に通い始めるかを親が決めることができるため、5歳から通い始める子も、7歳、8歳から通い始める子もいるそうなんですね。
さらに、落第も飛び級もあるので、同じ学年だからと言って、同じ年齢とは限らないということらしいのです。
日本の学校は、同じ年の子どもが集められて、中学を卒業するまで、ずっとそのままで過ごすわけです。
考えてみれば、同じ年の人間ばかりが集まっている社会というのは、非常に特殊な社会です。
このような均質な社会では、多様性が育まれるはずがありません。
落第があるということは、その子がしっかりとそのレベルをクリアするまで丁寧に指導するということだし、飛び級があるということは、成長が早い子にはそれなりの環境が用意されるということです。
日本の場合、落第も飛び級もないので、ついけない子には苦しくて、呑み込みの早い子には退屈な学校生活を無理やり押し付けているということになるのです。
転校するのが当たり前の社会
マレーシアにはインターナショナルスクールが沢山あって、しかも規模の小さな私塾的なフリースクールもたくさんあります。
学校になじめないとか、不満を感じる子どもたちは、どんどん学校を変えていくのは普通だというのです。
学校側もそれが当たり前になっているので、大量の転校生を受け入れる用意があるし、生徒の側も転校する子どもが沢山いるので、転校生が珍しくないわけです。
ですから、転校してもすんなりと受け入れてもらえるというのです。
とても気軽に転校できるので、例えば、いじめにあったり、学校の教育方針と合わないと感じたばあい、我慢してそこに通い続けるということないそうです。
社会全体が、それが当たり前だと考えているので、転校することに対して全くネガティブなイメージはないと言います。
クラブ活動は同じものを続けてはいけない
日本社会は続ける事を美徳しています。
何かを始めたのに、すぐに辞めてしまうのは、根性がないとかこらえ性がないとかもったいない、などといいます。
ところがマレーシアでは、同じクラブ活動を2年連続で続けることが禁止されているというのです。
子どものうちに沢山のことを経験してみることが大切だ、と考えているということなのです。
沢山のことを経験してみると、自分の特性や向き不向きなどもわかってくるのです。
その子が興味を示さなくても、先生が子どもに勧めることもこともあるようです。
興味を持っていなかったことをやらせるのはどうか、と日本人なら思うところですが、どうせ続けてやるわけでもないしやめてしまっても構わないし、やってみたら興味を持つかもしれない。
子どもにとっても、いい経験になるのです。
完璧を求めない
マレーシアの人たちは、日本人のように完璧を求めない。
日本人は、何かにつけて完成度の高さを要求します。
それが日本人の良さでもあるのですが、そのために結果を出すまでに時間がかかってしまいます。
マレーシアの人たちは完璧を求めないので、よけいな手間をかけないので仕事の進み方がとても早いと言います。
怒っている人がすくない
さらに、不完全なものが出てきても怒る人が少ない。
怒っている人をあまり見たことがないとのこと。
宗教もたくさんあるし、人種も多いので、多様性に富んでいるということもあり、自分と違う人がいてもそれに対して怒りを覚えないそうです。
日本人は、とても均質な社会に生きているので、常識や空気を読むということがとても大切だとされているけれど、多様性に富んでいる社会では、そもそもそういうものが存在しないでしょう。
だから、自分と違う人がいても、腹が立たないのだと言います。
怒る人がいない社会にいると、怒っている人を見ると幼稚に見えるとのこと。
なるほど、確かに人間性ができていないと感じるかもしれませんね。
まとめ
もっともっと、書きたいことが沢山ある本なのですが、興味を持った人はぜひ、手に取って読んでみてほしいですね。
日本の社会で生きづらさを感じている人は、この生きづらさがどこからきているのか、その本質をつかめるかもしれません。
そして、それがわかれば、生きづらさが楽になるかもしれませんよね。
実際、私も、この本を読んだおかげで、自分の中にいつの間か育っている「日本人らしさ」に気がつくことができました。
それを手放すことができれば、もっと楽に生きていけるかもしれません。
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