僕たちは子どものころから、「この世は弱肉強食の競争社会だから、一生懸命自分の能力を上げていって競争に勝てるようにならなければ生きていけいない。」と教え込まれて育つ。
そして、受験、就職、出世、様々な場面において、競い合うことを意識する。
誰かと比較して、勝っていれば安心し、負けていれば劣等感を感じる。
そんなことを繰り返しているから、「確かにこの世は競争社会だ。」と認識する。
だから、自分が親になった時に、自分の子どもに対して「この世は競争社会だぞ。」と教える。
そして、その子どもも「本当だ、競争社会だ。」と認識するようになる。
でも、僕はそうは思わない。
実際には、この世は競争社会なんかじゃない。
実は、競争社会なんてものは、「この世は競争社会である。」と思っている人の頭の中にある。
競争に意識が行ってしまう
「この世は競争社会である。」と思っていると、この世に存在する「競争」に意識が行ってしまう。
そういう意識で世の中を見ていると、確かに「競争社会」に見えてくる。
でも、人々はいつでも競争をしているわけではないよね。
助け合い、協力し合う場面もたくさんある。
協力し合って一つのことを成し遂げるという場面だって、たくさん経験しているはずだ。
困っている人がいて、それを助けている人がいることも知っている。
にもかかわらず、競争社会だと思っている人は「競争」に意識が行っている。
だから、競争社会に見える。
つまりね、「競争社会だと思っている」というのが先に有って、その結果として「競争社会に見える」ということなんだ。
人は助け合って生きていくもの
世の中をどう見ているか。
それによって、世の中の見え方が変わってくる。
人は一人では生きていけない。
だから、本来は助け合って生きていくのものなのだ。
助け合うのが人間の本来の姿である、という認識を持って世の中を見てみる必要がある。
それが当たりまえだとすると、
困っている人がいれば助けようと思う。
自分が困ったときには助けを求めることができる。
自分が得意なことで社会貢献しようと思う。
自分が不得意なことは、誰かにやってもらえばいいと思えるようになる。
そして、安心して生きていけるようになる。
助け合いが多くの人の共通認識になったら
ちょっと想像してみてほしいんだけど、「この世は助け合いの世の中で、人は協力し合って生きていく」という認識を持つ人がどんどん増えて、そういう人ばかりになったという社会を。
そのような世の中に、自己責任論なんて出てるくだろうか?
人はみんな、持っている能力も違うし、特性も違う。
そういう凸凹な人たちが、協力し合ってよりよい世の中を作っていこうという意識になれば、生きづらさを感じる人は格段に減るのではないだろうか?
どうして、そういう社会を作っていこうとしないのだろう。
それは不可能なことじゃないと思うのだけれど。
教育を変えていこう
「この世の中が競争社会である。」という認識を変えていくだけで、社会は格段に住みやすくなると思う。
その認識を変えていくカギは、教育にあると思う。
これから大人になっていく子どもたちに、競争を教えるのではなく協力を教える。
「他人に迷惑をかけてはいけない。」と教えるのではなく、「困っている人がいたら助けてあげよう。そして、自分が困ったら助けてもらおう。」と教える。
「自分が得意なことで誰かを助けてあげられる人になる。」ということを教育の目標にする。
そうすれば、みんなが安心して暮らせる社会を作ることができるとおもう。
まずは自分から変えていこう
もちろん、一気に変えることはできないから、まずは自分から変えていこう。
競争社会は自分の頭の中に広がる世界なので、その世界観を、この世は助け合いの世界であると変えてみる。
そういう目で、世の中を見てみる。
そうすることで、なんとなく優しい気持ちになれるし、不安や心配事が消えてなくなるような気がする。
生きづらさが楽になる。
ちょっと、目を閉じて想像し見てほしい。
この世は競争社会ではなく、助け合いの世の中であると。
まとめ
生きづらさの原因は、自分の頭の中に広がる競争社会という認識なのだ。
競争社会が本当にあるのではなくて、そういう認識があるだけ。
その認識を変えて、世の中は助け合いで出来ている。
人間は協力し合って生きていく社会的動物である。
そうイメージを変えるだけで、やさしい気持ちになって、生きるのが楽になる。
まずは自分からやってみてほしい。
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