庭の雑草と戦っていて考えたこと-雑草魂について

ガーデニング親子 エッセイ
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ガーデニング親子

別に外出自粛をしているから、というわけではないけれど、庭に生えてくる雑草と格闘している。

今僕は、築45年くらいの実家に住んでいる。
庭の管理はずっと父がしていたのだけれど、父が認知症になってからは、脳出血の後遺症が残る母がやっていた。
そして父が亡くなり、その後母が脳梗塞を起こして入院してから、事実上空き家状態になって、約2年半の間放置されていた。

空き家にしておくのはもったいないと、僕が家族と移り住んだのが約3年前のことで、その時には、庭は完全に雑草に支配されていて、その様子を見て怖気づいた僕は、さらに2年間放置した。
当時の僕は、精神的に余裕が無くて、庭の雑草と格闘するエネルギーが無かったのだ。

二年目の夏に、さすがにこの状態はあまりにもひどいと思った。
通りから見えるし、この家の住人はいったい何をやっているんだ、と、きっと近所の人は思っているだろうなと考えた。
「息子さんが戻ってきたのはいいけど、ますます荒れ放題じゃないか。」
そんな風に思われているんだろうなと。

そこで僕は、昨年、一念発起して庭をいじることにした。
とはいっても、特にガーデニングなどの趣味もないので、なるべく手をかけずに、お金もかけずに見栄えをきれいにするにはどうすればいいのかと考えて、庭に芝を貼ることを思いついた。

芝を貼るために、土を作らなければいけない。
一面雑草に覆いつくされた庭を掘り起こし、土の中に張り巡らされた雑草の根っこと戦った。
そして、一か月以上の時間をかけて、土をふるいにかけて、土の中の不純物を取り除いていった。

そして、今年もまた、去年やり残したところの芝を貼り、庭の雑草と格闘している。

雑草の強さは根の強さだと思う

雑草と格闘していてもうのは、根っこがすごいということ。
もちろん、種類によって違うのだけれども、広範囲にその勢力を伸ばしいて、去年あれだけ除去したのにも関わらず、今年も顔を出すすごい雑草は、ほとんどの場合根っこがすごいことになっている。

表に出ていないけれど、土を掘り返してみると、根っこのネットワークが広がっているのがわかる。
このネットワークを、文字通り根こそぎ根絶するのは不可能に近い。
(書いていて気がついた、「根こそぎ」も「根絶」も根っこに関係する言葉だ!)

根っこがしっかりと張っている雑草は強い。
それはきっと、人間でも同じなんだろうなって思う。

「雑草魂」などという言葉があるけれど、そういう粘り強い人は根っこが立派なんだろうなって思う。
雑草と格闘していて、そんなことを考えた。

高橋尚子さんを支えた言葉

そこで思い出したのは、シドニーオリンピックの女子マラソンで、日本人初の金メダルを取った高橋尚子さんのこと。
彼女にももちろんスランプの時期があったわけだけれど、そんなときには「今は根を張る時だ」と自分に言い聞かせていたとのこと。

どうもこれは、調べてみると、元三洋電機副社長だった後藤清一氏の言葉である、「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉を胸に、スランプの時期を乗り越えた、という話なのだ。

土の上に顔を出せないときにも、雑草は根っこを広げているのだ。
だから、どんなに雑草をむしっても、やっぱり生えてくる。
雑草との戦いにうんざりしながらも、雑草の生命力に敬意を払いたい気分になった。
雑草ってすごいな~。

人間も根っこが強くないとダメだね

打たれ強い人、失敗しても何度でも立ち上がる人っていうのは、雑草のような強さがあるよね。
こういう人は、根っこが強いんだろうな。

根っこが枯れなければ、何度でも芽を出そうとする。
その粘り強さは、根っこの強さなんだ。

うまくいかなくても、粘って粘って、何度でもチャレンジしていく。
隙あらば、ほんの少しの隙間から芽を出そうとする。

自分も、そういうしたたかさを持っていたいと思った。
雑草のようなしたたかさをね。

まとめ

庭の草取りをしていて、雑草の強さを感じた。
抜かれても、むしられても、根っこがある限り芽を出してくる。

本当にしつこい。
うんざりするほどしつこい。

でも、自分もそういうしつこさを持っていたいと思った。
そのためには、表に出ない根っこの強さが大切なんだよな。

コメント

  1. […] […]

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