自分の頭が混乱しているので、うまく書けるかどうかわからないけど、昨日、デンマークの話を聴いた。
私が所属している、「一般社団法人 働く心を大切にする経営協会」の代表理事を務める森上さんが、8月の末にデンマーク視察ツアーに行ってきた。
その報告を昨日聞かせてもらったのだ。
実は以前、このツアーの説明会的なイベントに、森上さんと一緒に参加した時も、かなりの衝撃を受けて、そのことを以前のブログに、4回連続で書いたことがある。
この時にも、やはり教育が違うということに衝撃を受けたんだけど、昨日の話もやはり、教育の違いにびっくりした。
教育が違うから社会構造が違うのではないか
心理カウンセラーをやっていると、子ども時代に刷り込まれた価値観というのが、どれほど強力で、その人のものの考え方に影響を与えているか、という事実を突きつけられることが多い。
きっと、多くの人はそのことに気が付いていないんだろうな。
だって、そういうことって、病んでみたり悩んでみないと、多分気が付ないことだからね。
そして、日本の教育を受けた人たちが大人になって、社会を構成していくわけだよね。
全ての行動に影響を及ぼしていくわけだよ。
選挙に行くか行かないかとか、議論をするかしないかとか、空気を読むとか読まないとか、言論の自由とヘイトスピーチの関係とか、民主主義とは何かとか、自由とはどういうものなのかとか、人生とは、社会とは、その他もろもろ、いろんなことに影響を及ぼしているわけだよね。
政治、経済、行政、すべてに影響を及ぼしている。
それが教育なんだよね。
だから、教育が違えば、国の在り方が全然違うものになる。
教育の重要性に気が付くのは難しい
デンマークは、日本とは何もかもが違うわけ。
きっと、その違いは教育から始まっているんだと、僕はどうしてもそう感じてしまうんだ。
そして、多くの日本人は、教育の影響の大きさに気が付いていないのね。
それはなぜかと言えば、真っ白な子ども時代に刷り込まれたからだよ。
それが当たり前だと思っているからだよ。
さっきも書いたけど、子どものころに刷り込まれたことって、ものすごく強力で、そもそも、刷り込まれていること自体に気が付かないし、だからそれを変えていくのはとても大変なんだよね。
心病む人が、自分を苦しめているということになかなか気が付かないのと同じで、当たり前の常識になってしまったことに、それって違うんじゃないのかって気が付くのってとても難しいんだよ。
だから、教育はとても大切で、今の教育に疑問を感じるということが大事なんだと思うんだ。
僕が日本の教育に対して疑問に思う
教師が社会を知らなくていいのか
僕の父親は、高校で英語教師をしていた。
そのせいで、僕は小さいころから教育というものにとても興味があった。
僕自身もきっと、教師という職業に向いているだろうなあ、と自分でも思っていたのだけれども、僕は教師になるつもりは全くなかった。
なぜなら、社会を見てみたかったから。
日本の教師のほとんどは、大学を出るとすぐに教師になるよね。
学校というのは特殊な世界で、大学を出てすぐに教師になると、一般社会を知らずに一生を終えてしまうのではないかと思ったからだ。
だって、社会で生きていく人たち、これからの社会を背負っていく人たちを育てるのに、一度も社会に出たことが無い人が教えていていいのだろうか、という疑問があった。
それに、父親が教師だと、なかなか、社会というものを肌感覚として知る機会がないんだよね。
だから僕は、普通の会社員を経験してみたかったんだ。
だから、教師になることは考えなかった。
理想ではなく現実を教えてほしい
これは、僕の父親そうだっただけなのかもしれないけど、日本の学校って、理想を教え込もうとする傾向にあると思うんだ。
みんな仲良くしようとかね。
でも、現実問題としては、仲良くなれない子もいるわけだよね。
力を合わせて協力して一つのことを成し遂げようとか。
これが、協調性というやつなんだけど、それって自由じゃないよね。
つまり、自分を殺して、我慢して、みんなに合わせることができるようになることをいいことである、というメッセージを送っているんだよね。
そうなると、異論を唱える人を排除しようとしたり、みんなと違う人を攻撃したりするようになる。
すると、周りの人の意見が気になるようになって、多数派に入ると安心してそれが正解だと思うようになる。
そして、少数意見を言いにくい空気が生まれるよね。
攻撃されるくらいなら、言わない方がいいかとか、少数意見を言って場を乱すことは悪いことだとか、みんなと違う意見を持つってことは自分が間違えているからだとか、そういう感覚を身につけるようになる。
それから、多数派が正解だとは限らないよね。
少数意見の中に、きらりと光る良いものがある可能性がある。
じゃあ、意見がどうしても合わなくて、仲良くなれない子がいる場合はどうすればいいのか。
そういことを徹底的に学んでいくことが、とても大切なんじゃないかと思うんだ。
脅すのを止めた方がいい
先生にはそういう人がいるかどうかわからないけど、「このままじゃお前、社会で生きていけないぞ」とか、「社会に出た時に苦労するぞ」とか、脅す大人っているよね。
なんで脅すんだろう。
脅して、恐怖心をあおってまで勉強をさせる意味はあるんだろうか?
これによって、「社会は甘くない、怖いところだ。」というイメージを植え付けているんだよね。
それは子どものためになるんだろうか?
社会が怖いところだから、なるべく社会に出るのを遅らせようとか、ちょっとひどい目に合うとひきこもりになったりするのではないか。
大人が楽しそうにしていれば、子どもだって、早く社会に出て働きたいと思うのではないか。
大学に行った方が有利なのか
とにかく大学に行くこと。
大学に行っておけば、人生何とかなる。
そんな風に考えている大人って多いよね。
うちの長男は中学3年生で、高校受験を控えているんだよね。
先日、私立高校展という展示会に行ったんだ。
どんな私立高校があるのかを知るために。
そして、いくつかの高校のブースで話を聴いたんだけど、どの高校も、大学受験の話をするんだよね。
「大学受験に向けて、うちの高校ではどんな取り組みをしているのか」という話をするんだよね。
あれ?
これ、高校の展示会だよね。
予備校の展示会じゃないよね。
って思ったよ。
僕は、長男には、「大学に行け」なんて一言も言ったことはないんだけど、どの高校も大学受験の話をするものだから、さすがに長男が心配になったのか「大学に行ってほしいとか思う?」って聞いてきた。
そりゃあ、あれだけ、大学の話をされると大学には行くのが当たり前なのかなっていう感覚になるよね。
それで、僕は、
「全然思わない!」って即答した。
「お前がどうしてもやりたいことがあって、それをやるためには大学に行かないとできない、というのであれば行けばいいし、行く必要が無いのであれば、行かなくていいと思うよ。」って。
「だから、高校に行ってから考えてもいい話だよね」って言ったんだ。
デンマークの教育はどうなのか
デンマークでは、幼稚園のころから民主主義を教えているという。
子どもが喧嘩をしたり、何かトラブルが起こった時に、どうしてそうなったのか、どうすればそれを回避できるのかということを、徹底的に話し合うことをするというのだ。
話し合いで解決する、ということを、幼稚園のころから徹底しているのだ。
日本であれば、教師が出てきて、ジャッジして、「○○ちゃん××ちゃんに謝りなさい!」とか言って、形式的にしかたなく「ごめんなさい。」とか言って、「ほら、○○ちゃん謝っているよ!そういう時はどう言うの?」とかいわれて、納得していなくても仕方なく「いいよ」とか言わせられるわけですよ。
それで表面上は解決したようにさせられちゃんだけど、お互い納得いっていない、なんてことになるわけ。
でも、デンマークではそれはしないわけです。
教師は子どもたちと対等な立場だから、ジャッジしないわけ。
話し合いを促す。
そこで、徹底して議論する。
もちろん、平行線で終わることもあるわけです。
そこで、子どもたちは、「理解しあえない人もいる」ということを学ぶというのだ。
話し合うことが民主主義の基本であるということを、子どものころから身につけるのだ。
大学無料なのに進学率が低い
さらに、大学についてだけど、大学な基本無料なのに、進学率が低いというのもなるほどと思ったこと。
職業に対する偏見もないし、勉強ができるとか、学歴に対する考え方が違うんだろう。
おそらく、本気で学問したい人が大学に行くんだろうな、という感じなんだ。
日本のように、みんなが行くからとか、行っておいた方がなんとなく有利みたいだからとか、もう少し遊んでいたいから、とか、そういう理由ではいかないんだろうと思う。
自分のライフビジョンができていて、そのために必要なら大学に行く。
必要ないなら行かない。
そういうことが、はっきりしているのだろうと思う。
民主主義が成熟している
話は逸れたけど、以上のような教育をしているから、当たり前のように、民主主義というものがすべての人に浸透している。
人々は平等だし、膨大な時間をかけて、話し合いのもとに合意形成をしていく。
それが、デンマークという国を作っている。
どこかの国のように、何でもかんでも多数決で強引に決めてしまう、ということをしない。
そして、みんなが民主主義を理解しているから、投票率がとても高い(80%台)。
そういう高い投票率のもとに選ばれた政治家が政治をしているので、国に対する信頼感がある。
当然のことながら、少数意見も吸い上げることができているので、国民が納得しているんだよね。
こういう話を聴くと、うらやましいなあ、という思いが湧いてくる。
国民が政府を信頼している。
なんと素晴らしいことだろうか!
さすが、幸福度の高い国は違うよなあ。
日本はどこから手を付けていけばいいのだろう
今の日本の現状は、デンマークと比べると惨憺たる状態で、なんだかもう、その距離が遠すぎてめまいがする。
正直言って、どこから手を付けていいのかわからないような、途方に暮れるような感覚になる。
でも、デンマークだって、今のような状態になるまでには、長い長い年月がかかっているはずなんだよね。
だから、焦らずに、一人一人ができることを続けていくしかない、ということだと理解している。
今の日本の状態を良くしようと思って、各分野でそれぞれに頑張っている人たちは沢山いるはず。
だから、そういう人たちと一緒に、連携していくことを考えれば、加速度的に改善する日がやってくるのではないか、という希望的な予測もできる。
僕ができることは、みんなが小さなころに刷り込まれた価値観や脅しは、それは単なる刷り込みであって真理ではないということを、一人でも多くの人に伝えていくことかな。
そして、どんな人と連携をしていけばいいのか、ということを考えて、連携できる人を増やしていくことが大切だと思うんだ。
物事が一気に進むことはない。
少しづつ、ちょっとづつ、変化していくわけだから、変に焦っても仕方がないよね。
まとめ
長々と書いてしまったけれど、デンマークという国はいいお手本だと思うということ。
もちろん、デンマーク以外にもいいお手本になる国はいっぱいあるんだろうと思う。
いいお手本をアレンジして、日本の国をいい国に変えていきたい。
気の遠くなるような感じもするけれど、焦らずに、みんなで協力し合って、少しずつ前に進めればいいね。
微力ながら、自分も何か変えていけれる一人になれたらいいな。
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