以前、何かの本で、「既成の概念を壊して新しいものを作っていくのは、その道の素人であり新人である。」というような言葉に出会って、なるほど!、そうかもしれないって思った。
古いものを壊していくのは、常に素人なんだ、というのは面白い発想だなって。
僕たちは、どうしてもその道の権威が常に世の中を引っ張っているように思いがちで、その道の権威の言葉をとてもありがたがって、それが正しいと思いがちなんだけど、そこに疑問を感じる人たちが古い概念を打ち破っていくんだよね。
古い概念にどっぷりと浸かってしまっている人よりも、素人的な感性というか、感覚を大切している人のほうが柔軟な発想ができるのかもしれない。
専門家になると素人の感覚がわからなくなる
どんな専門家でも、最初は素人だった。
素人から始めて、少しずつ知識や経験を積んでいって、その道の専門家になっていく。
でも、専門家になればなるほど、素人だったころのことを忘れてしまうんだよね。
そして、顧客はみんな素人なんだよね。
僕も、整体師や心理カウンセラーとして働いているんだけど、素人だったころのこと、勉強していく過程で感じた楽しさとか、興味深い感じとか、新鮮な驚きとか、そういうフレッシュな感覚が遠い過去のことになっていて、忘れてしまっていると感じる。
だから、こういう感覚をいつまでも覚えていられる人はすごいと思うし、そうありたいと思う。
専門分野以外のことでも興味を持つ
でも、専門分野以外のことについては、まだまだ素人で、素人のほうが素朴な疑問を持ったりするんだよね。
そういう感覚を大切にしていいと思うし、素人だからと言って卑下する必要もないと思うんだ。
全く知らないことだと、感覚的に違和感を感じやすかったり、自由な発想ができたり。
そういうこともある。
その感覚、ひらめき、アイディアを大切にしておくことが、世の中を変えていく原動力になるかもしれない。
だから、知らないということは恥ではないし、知らないからこそ解ることがあるのかもしれない。
素人の素朴な疑問を馬鹿にする風潮があるかもしれないけれど、そういう素人の発する「疑問」を大切にしたい。
自由な発想ができる人であり続けたい
僕としては、柔軟な思考、自由な発想ができる人であり続けたいと思っている。
永遠の素人であり続けたいんだよね。
誰かに教わった「正解」にこだわり続けるのは危険だとすら思う。
それでは思考停止してしまう。
どんなにその道の権威がすごくても、そこに疑問を持てる人でありたいと思う。
だから、自分の頭で考えることをやめたくない。
自分の頭で考え続けることが、新しい発想を生むんだと思うんだ。
思考停止をしてしまっては、それ以上の進歩や発展は無いんじゃないのか。
まとめ
権威やお墨付きにこだわり続けると、進歩が無くなるのではないか。
常に、自由な発想ができる自分でありたい。
素人の素朴な疑問を大切に、常にフラットな視点で、自分の頭で物事を考えたい。
それが僕のスタンスなんだよね。
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