最近、「幸せ」ということをよく考える。
「幸福学」なんてのももりあがっている。
僕は、「一般社団法人 働く心を大切にする経営協会」という団体の理事をしている。
ここで提唱しているのが、「幸福度経営®」という手法。
一言でいうと、「従業員の幸福を追求する経営をすることで、企業の業績が伸びますよ。」という話。
従業員が幸せなら、生産性も創造性もアップするという研究結果があって、そういう手法が広まっていけば、みんなが幸せに暮らせる社会を作ることができるんではないか、というものだ。
そもそも人はどうして働くんだ?
そもそも論として、人はなんのために働くのか?
「そんなの考えなくたってわかるよ。金のためだろう。」
そんな声が聞こえてきそうだ。
もともとは、食うために、生きるために働いていたんだよね。
まだまだ、野生動物に近かったころは、自分の食べ物を確保することが目的だった。
そのうちに、社会が複雑になっていくと、物々交換が行われるようになって、やがて価値の交換が広く行われるようになって、お金というものが誕生した。
そして、生きていくために必要なものを購入するために、お金というものが必要不可欠になってきた。
そういう流れがあるんだよね。
だから、生きるためにお金を稼ぐ。
それが仕事だ、という考え方は間違えていない。
でも、生きていくのに必要なだけあれば、あとはいらないのではないか。
でも、それだけじゃつまらない。
せっかく豊かな時代に生まれたんだから、楽しいことをしたい。
幸せを感じたい。
そんな風に思っているのではないか。
だから、生きていくための最低限のお金だけじゃなくて、それ以上のお金が必要になるんじゃないのか。
結局、私たちは幸せになるために働いているんじゃないのかと思うんだけど、どうだろうか?
幸せのために働いているはずなのに
でも、仕事で不幸になっている人が多いように思う。
幸せと不幸を交換しているのかな?
自分の幸せを切り売りしてお金に換えている、みたいな。
幸せになるためには、辛い仕事でも我慢してやらなければいけない。
僕たちのひと世代前の人たちは、戦後の焼け野原の中からたちがあった人たち。
そのころを生きた人たちには、仕事を選ぶとか、幸せのために働くとか、そういう概念はなかったと思うな。
辛い仕事でも、仕事にありつければそれでラッキーみたいなところはあったと思う。
確かに、そういう時代があったことは間違いない。
でも、時代は変わったんだと思う。
仕事があればラッキーな時代から、高度経済成長期を通り越して、バブルが崩壊した。
経済は飽和状態になり、人口はどんどん減り、高齢化が進み、衰退していく未来が見える。
この辺で、私たちは価値観を変えていく必要があるんじゃないかと思うんだよね。
それは、もう一度、何のために働くんだろうかということを、ちゃんと考えるということじゃないなと。
自分の幸せを切り売りして、食うための金を稼ぐ時代は終わったんじゃないかと思うんだよね。
逆に言うと、ちょっと腰を落ち着けて、一人一人が自分なりの幸せを追求できる時代になったと思う。
経済は無限に膨らまない。
それに、最低限の生活はできるような豊かな国になった。
これからは、金を無限に膨らませるんじゃなくて、ちゃんと循環させて、幸せな生き方ができる社会を目指すべきなんじゃないかと、そんなことを考えている。
まとめ
まとめ、と言っても、なんともまとまらない記事になったんだ。
でも、お金を必要以上に増やそうとすることで、多くの人が苦しんでいるように見える。
お金を増やすよりも、幸せを増やすことを目指したほうがいいと思う。
じゃあ、具体的に何をすればいいのか、と問われても、僕がここですべて答えを出せるような問題じゃない。
何に幸せを見出すかは人それぞれだから、人それぞれ答えが違うだろう。
でも、自分の頭で考え欲しい。
なんのために働くのか。
仕事とは何なのか。
いま、私たちは、そういう根源的な問題を問われているような気がするのだ。
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