人生のレールなんて幻に過ぎない-人生を自由に歩く方法

レール 働き方・キャリア
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人生にレールはあるのか?
敷かれたレールの上を歩くのは嫌だ!

っていう話は良く聴く。
実際にそう思っている人も多いのではないだろうか。

日本においては、人生のレールが存在しているかのような印象を持っている人は多い。
良い高校、良い大学、一流企業の正社員になって定年まで勤めあげて、定年後は悠々自適の老後がまっている。
そんなイメージだろう。

結論から言うと、人生にレールなんてない。
それは幻に過ぎないんだ。

高度経済成長期の遺産

このイメージは、高度経済成長期の遺産なのだ。
高度経済成長期というのは、1960年代から1990年代までの約30年間、日本の経済が一気に成長した時代のことだ。

この当時は、日本型経営として、年功序列、終身雇用制というのがもてはやされた。
日本の大手企業は、新卒一括採用で、学校を出たばかりの若者を大量に採用して、会社独自の研修制度を用いて会社の色に染め上げていく。
労働者は会社に忠誠を誓い、会社は労働者の生活すべてを、生涯にわたって面倒を見ることを約束する。
これによって、労働者は生活の不安を感じることなく、安心して働くことができるし、会社としては、何でも言うことを聞く労働者を確保し続けることができる。

新卒一括採用なので、この時のを逃すとこの終身雇用制を利用することが出来なくなってしまう。
さらに、この時に大きな会社や安定した会社に入れるかどうかが、一生を左右する大きな出来事になる。

なので、できるだけ条件の良い会社に入るためには、良い大学を出ておくことが必要になる。
かくして、先にあげたような、人生のレールらしきものが、人々の頭の中にできあがってしまったのだ。

バブル崩壊とともに日本型経営が揺らぎ始めた

ところが、1999年代の中ごろにバブルが崩壊した。
大企業でもリストラの嵐が吹き荒れることになった。
その上、年功序列型の雇用体系も維持できなくなって、成果主義が導入されるようになった。

つまり、かつてのレールにひびが入るようになった。
大企業と言えども、いつ倒れるかわからない。
いつ、首を切られるかわからない。
そういう時代になったということだ。

もうすでに、レールは存在しないと言っていい。
にもかかわらず、その幻だけが残っているのが現状だ。

安定感を希求する人たち

誰一人として、同じ人生を歩く人はいない。
人生なんて、人の数だけ存在する。

にもかかわらず、レールが存在するかのような幻想を抱くのは、高度経済成長期の安定感を求める人たちが多数存在するということだ。

誰だって、将来のことは不安なのだ。
不安だから、安定を求める。
安定を求めるがゆえに、より安全な道を行こうとする。
特に、親が子どもの将来を案じるとき、子どもには苦労を掛けたくないという思いがある。

その上、親世代は高度経済成長期のことを覚えている。
だから、自分の子どもにはこのレールの上をしっかりと歩いて、その中で勝ち組になって欲しいと願う。
そういう親が多いからこそ、未だにこのレールが実際に存在しているかのように感じるんだ。

変化の速い時代になった

インターネットとスマートフォンの登場で、情報の拡散するスピードがものすごく上がった。
これによって、変化が加速した。

その上、人生100年時代と言われるようになり、働く時期が長くなった。
20代前半で仕事を始めて、70歳代まで働いたとして50年間もある。
50年も経てば、どんな世の中になっているか全く想像がつかない。

どんなに大企業でも、50年後にどうなっているかなんてわからない時代なのだ。
終身雇用制なんて軽々しく保障できない時代になった。
あの、トヨタ自動車でさえ、終身雇用を維持するのは難しいと言っている。

人生のレールはすでに成り立たなくなっている。
過去の遺物なのだ。

人の数だけ人生がある

誰一人として、同じ人生を歩く人はいない。
だから、人の数だけ人生があると言ってもいいだろう。

なので、この幻のように見えているレールは、数ある人生のなかの一つのモデルに過ぎないということを覚えていて欲しい。

選択肢はいくらでもある。
無限にあると言っていい。
そのうちの一つに過ぎない。
そういう理解をしたほうが良い。

大切なのは、主体的に自分が将来どういう人生を歩きたいかということだ。
その人生が、良い大学を卒業することでしか達成できないというのであれば、そこを目指せばいい。
主体的に目指せばよい。

レールをイメージするのは主体性がないから

レールがあると感じるのは、主体的に人生を考えていないから。
「レール」というイメージは、主体性を感じられないということ。
すでに誰かに決められていしまっているルート、というイメージを持っているということ。

沢山のルートの中から、自分で主体的に選択する。
あるいは、自分の前には道が無くて、自分の後ろに道ができる。
自分の歩いた道のりが自分の人生になる。
そういうイメージを持っていれば、誰かが敷いたレールなど存在しないことになる。

ただ単に、自分の頭の中にある、人生観だけの問題だ。

主体的に生きようと考え、自分が理想とする生き方を模索するようになれば、このレールが存在しないことに気がつくだろう。

主体的に、自分が思う人生を設計していけばいい。
寄り道もOKだし、途中で行く先を変えたって何も問題はない。
僕たちは基本的人権が保障された自由の国に生きている。
職業選択の自由も移動の自由も認められている。

どこにもレールなんてない。
幻なんだ。

好きなことをやろう

自分が好きなこと、興味がある、得意なこと、ワクワクすること。
そういう分野で生きていこう。

それが幸せになるための条件だと思う。

安定している、失敗したくない、苦労したくない、を目標にすると、皮肉にも苦労する。
好きなこと、やってみたいを目標にすると、ワクワクした楽しい人生になる。

道が無ければ、自分で作ってしまうくらいでいい。
自分が道を作るくらいの勢いでいい。

それくらい自由に生きて良いんだ。

まとめ

人生のレールがあると感じている人は、人生を主体的に考えていない人だ。
人生の主人公は自分。
自分の好きなように生きていけばいい。

人生にレールはない。
道もない。
自分で開拓していっていい。

これは、人生観の問題なんだ。

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