自立とは、多くの人に依存することである-安冨歩著「生きる技法」より

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昨日のブログで紹介した、安冨歩さんの著書「生きる技法」から、本当にたくさんの貴重な気づきを得ました。

【読書】生きる技法
女性装の東大教授、安冨歩さんの著書「生きる技法」を読んだ。この本は素晴らしすぎて、一つの記事で終わらせてしまうのはもったいない。ぜひ、生きづらさを感じている人には読んて欲しいと思います。

これから何回か、この本の中から、僕が「これは多くの人に知ってほしい」と思ったことをピックアップしていきたいと思います。
もちろん、僕のブログを読んで、この本を読んだ気にならないでいただきたい。

というのは、あくまでもここで書くことは僕の解釈であって、あなたの解釈はまた別のものかもしれない。
それに、共感するポイントだって、僕とあなたでは違うかもしれない。

だから、ぜひ、自分でこの本を手に取って読んでほしい。
まあ、こんなことわざわざ書くようなことでもないかもしれないけれど。

自立とはどういうことを言うのか

子どもから大人へと成長していくとき、目指すべきは「自立」することであることは、多くの人は異論はないと思います。

自立できるかどうか、というのは教育の大きな目標になります。

では、「自立」というのはどういう状態をいうだろうか。
ということを、改めて考えてみたことがあるでしょうか?

安冨さんも、この本の中で書いているけれど、自立とは誰にも頼らずに生きていけるようになることでであると思っている人が多いと思います。

僕自身も、自立とは「自分の足で立つ」というイメージがあって、すべて自分で何とかできるようならなければいけないと思い込んでいました。

このイメージは、今の日本社会に蔓延する「自己責任論」につながっていくのではないかと思います。

自己責任なんだから自分で何とかしろと。
自立している大人なら、それができて当然だろう。

という考え方です。

しかし、安冨さんの「自立」の定義は全く違います。
安冨さんは、「自立」を以下のように定義しています。

自立とは、多くの人に依存することである

この定義は、本書の冒頭に出てきます。

これは、多くの人が頭に描いている「自立」のイメージとは正反対のイメージだと思います。
いきなりこんなことを言われても、それをすんなりと理解できる人はあまりいないのではないでしょうか。

これは、天動説を信じて疑わなかった人たちが、地動説を信じることができなかったのに似ています。
このような、解釈の大転換を、まさに地動説を説いたコペルニクスの名前を取って、「コペルニクス的転回」というのは、多くの人が知っている言葉だと思います。

この、「自立」に対する定義は、まさに、コペルニクス的転回と言えるでしょう。

人は一人では生きていけない

人間は社会的動物として知られています。
これは、すなわち、人は一人ではいけいていけないということです。

私たちの祖先が、まだまだ、他の野生動物と一緒に暮らしていたころ、運動能力に劣る人類は弱い存在でした。
天敵に襲われれば簡単に捕食されてしまうし、獲物をしとめることも困難でした。

そんな中で、私たちの祖先が取った生存戦略が集団行動をするということです。
そして、それぞれが得意なことを活かして、役割分担をすることになったのです。

人類が地球上でここまで発展したのは、役割分担ができるということが大きいのです。
すなわち、他人の力を借りる、協力し合う、助け合うことで生き延びるという戦略を取ったからと言えるでしょう。

これは、人類の歴史をさかのぼることで、すでに明らかになっていることなのです。

だとすると、人間として自立するということは、協力し合える関係性を作ることができる、ということになるのではないでしょうか。

協力し合える関係性を作ること出来る、とは、困ったときに助けてもらえる人になる、ということでもあるのです。

ところが、多くの人は、「助ける側に回れるようになる」ということは教えても、「助けてもらえる側になる」ということは教えないのが不思議なのです。

助け合いというからには、「助ける側」と「助けられる側」がいて、人は、時と場合によって「助ける側」になったり「助けられる側」になったりします。

にもかかわらず、なぜか「助ける側になる」事ばかりを良しとして、「助けられる側になる」事を良しとしないというような教育をしているように思います。

本来は、この二つはセットになっていなければいけないのではないか、と思います。

依存先は多いほうが良い

安冨さんはまた、

依存する相手が増えるとき、人はより自立する

と述べています。

依存先が少ないと、その人がいないと生きていけない、という状況に追い込まれます。
こうなると、その人に従属するようになります。

誰かに従属してい生きるということは、「自立」とは言えない状態になります。

もし、依存する相手が沢山いれば、そのうちの一人から従属することを求められても、安心してその関係を断つことができます。

しかし、依存先が少なければ、それができない状態に追い込まれます。

子どもたちが親に従属しなければ生きていけないのと同じです。
もし、子どもたちが親以外に依存する先があるのであれば、虐待するような親から離れることができるようになります。

そうなれば、子どもは親から自立したことになります。

自立することを、依存しないで生きていけるようになることである、としてしまうと、どんどん依存先を減らしていくことになり、これは逆に自立から遠ざかることを意味してると、安冨さんは言っているのです。

この視点は、とても面白く、そしてものすごく納得のいくものでした。
リスク分散と言っても良いかもしれません。

助けられる側になって良い

人は一人では生きていけない。
これは、多くの人が当たり前のように知っていることです。

そしてこれは、助けられる側になって良い、ということです。
だから、困ったときには「助けてください。」と言っていいのです。

人に迷惑をかけてはいけない。
自分で全部できるようにならなければいけない。
すべてのことは、自己責任である。

そんな風潮が社会に蔓延しているからこそ、今の社会は生きづらいのではないか。
そんな風に思います。

「助けてくださいと言っていいんだ。」
と、多くの人が考えている社会を作ることができれば、もっとみんな、優しくなれるし安心して生きていけるようになるのではないか。

そんなことを考えました。

安冨さんは、この本の中でこんなことを言っています。

 もしあなたが、人の助けてもらうことはいけないことであり、自分でなんとかしなきゃ、と思って抱え込んでしまう人であるなら、その考えこそが、あなたを人に従属させている原因だとご理解ください。もちろん、何でもかんでも人に頼ろうとして、人が助けてくれないと、当たり散らすような人は、未熟なだけです。
しかし、自分が困っているときに、助けを求めることができないこともまた、未熟さの反映なのです。

実は僕自身が、人に助けを求めることができない人間なのです。
そこを自覚しているからこそ、この言葉にとても惹かれたのです。

そして、本書の帯にもある言葉が、スッと気持ちの中に入ってきます。

助けてください、と言えたとき、あなたは自立している

人に助けを求めることができない人に、ぜひ読んでいただきたい本ですね。

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