出来事には多面性が必ずあって、見る角度や解釈の仕方によっては、まったく違う姿に見えることがある。
もちろん、自分像もそう。
例えば、物事をじっくり考えて、納得してから動くような性格の場合、見方によっては優柔不断に映るかもしれないけれど、熟考してから行動する慎重な人、と見ることもできる。
心を病む人は、自分にとって都合の悪い見方をわざわざ探し出して落ち込んだりする。
「うわ!ここから見ると自分ってめっちゃ不細工だし最低!」って思っている。
でも、楽観的な人は、自分にとって都合の良い解釈をするように心がけている。
「ここから見れば、自分、結構いけるじゃん!」って思っている。
長い人生、この違いは大きい。
自分の強みを見つけよう
自分をいろんな角度から見てみる。
いろんな解釈をしてみる。
そして、「こういう見方をすれば、結構いけるかもしれない」というところを見つけ出す。
それが、あなたの強み。
いつも、顔の左側からしか写真を撮らせなかった女優さんがいたという。
その人は、自分の良さは左側にあると思っていたということだ。
どこから見れば、自分の良さが際立つかを知っているということは、とても大切なことなのだ。
都合よく解釈する練習をしよう
僕はかつて、自分の醜いところ、ダメなことろばかり見ていた。
うああ、ここから見ると最悪。
自分はダメなやつ。
そうやって、勝手に自信を失っていた。
でも、人間、ダメなことろばかりじゃないんだよね。
いいところもいっぱいあるし、一見、短所に見えるようなことでも、解釈の仕方によっては長所になることだっていっぱいある。
僕は、短所ばかり見てしまう自分の癖を変えようと思った。
だから、解釈を無理やりにでも変えて、自分にとって都合よく解釈する練習をしたんだ。
これは、訓練によって出来るようになる。
今すぐできなくても、だんだん、いろいろな角度から物事を見ることができるようになるし、頭が柔軟になって、いろんな解釈ができるようになる。
これはもう、スポーツと一緒で、練習すればできるようになるんだ。
今すぐできなくても、1年後、2年後にはできるようになっている。
これができるようになるだけで、生きるのが格段に楽になる。
そして、今まで自分が、わざわざ短所を探して、都合が悪い解釈をしてきたことを「どうしてあんなバカバカしいことをしていたのだろうか」と思うようになる。
実に不毛だと思う。
誰も得しない。
自分はもちろん、自分の周りにいる人たちも、誰も得しない。
過去の事実の解釈も変えることができる
事実(ファクト)は一つでも、解釈は沢山ある。
沢山ある解釈の中から、自分に都合のいいものを選べるようになると、過去も変えられるようになる。
過去に起こった事実は変えられないけれど、解釈を変えることはできる。
最悪の過去の思い出の解釈が変われば、それは最悪の出来事ではなくなる可能性がある。
確かに、過去の出来事を無かったことにはできないけれど、解釈を変えてしまえば、その出来事の意味が変わってくる。
つまり、過去すらも都合よく変えることができるようになるのだ。
まとめ
物事を、自分にとって都合よく解釈する練習をすることで、過去すらも変えることができるようになる。
ストレスは激減するし、自分の長所は見つかるし、自信を持てるようになる。
さらには、過去の意味までも変えることができるようになるのだ。
そうすれば、今の人生が最高の人生だと思うことができるようになる。
都合よく解釈する技術を習得しない手はない。
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