計画を立てると計画を立てた時点の「過去」に支配される

盆栽梅

人が成長する、あるいは、自分を成長させる、とはどういう事を言うのだろうか。
そんなこと、考えたことがあるだろうか?

ある理想形があって、その形になるように自分を変えていくのが成長と言うのか。
それとも、自分の内側から湧き出る欲求に従って伸びていくことを成長と言うのか。

盆栽のような成長の仕方は嫌だ

僕は、かつてうつ状態に陥ったときに、自分のことを盆栽のようだと思ったことがある。
そういうイメージが浮かんだんだ。

僕が子どものころ、父親が趣味で盆栽を作っていたことがある。
木の枝に針金をぐるぐる巻きにされて、無理やり枝の伸びる方向を変えさせる。
そこに、自由など何もない。
強制的に形を変えられてしまうのだ。

だから、僕は盆栽を見ると心が苦しくなる。
窮屈そうだなあ、って思うんだ。
うつ状態に陥ったころのような感覚を思い出すんだ。

自由に枝を伸ばしたい

僕は、雑木林の雑木になりたかった。
自分の思った方向へ枝を延ばすイメージだ。
光を求めて、自分の意志で伸びていく。

もちろん、それはそれで厳しいものもあるのだろうけれど、状況に合わせて変化していく。
そして、その結果として自分の形が出来上がっていく。
そういう成長の仕方、人生の歩き方をしたって良いと思うんだ。

計画を立てると過去に縛られる

以前のブログ記事にも書いたけれども、先日、天外伺朗氏の講演を聴いた。

この講演の中で、天外氏は興味深い事を言っていた。

怖れと不安でドライブされた人生は、戦いの人生になる。
成熟すると怖れと不安がなくなる。
計画と目標は怖れと不安があるから作るものである。

計画を立てると、その計画を立てた時点の「過去」に支配されてしまう。

こだわりがなくなると、怖れがなくなり、計画がなくなり、行き当たりばったりになる。

【計画を立てると、計画を立てた時点の「過去」に支配される】というのは、今まで考えたことのない視点で面白いと思った。

ただ、その支配されるような、窮屈な感じは感覚としてよくわかる。

うつ状態がひどかった時は、計画を立てることが苦しくてできなかった。
人との約束をすることも、苦しくてできなかった。

また、メンタルを病んでいるクライアントの中には、整体の次回の予約を入れることを嫌がる人がいることも知っているし、気持ちは痛いほどよくわかる。

予約を入れるということをは、未来の自分を縛る行為なのだ。
自分を縛ることが苦しいのだ。

計画的に生きていくことが賢い生き方だと思い込んでいる

私たちは、子どものころから、そして、大人になってさえもなお、計画を立ててそれを確実に実行できるようになることが賢い生き方であると教え込まれている。

そして、それを忠実に実行しようとすると逆効果になるということを、おそらく経験している人も少なくないだろう。

でも、そこからして疑ってみるという視点を、天外氏の話から受け取った。

今は変化の激しい時代だ。
計画通りに行くことも少ないだろう。

行き当たりばったり、というと、なんだか不真面目な生き方のように感じるかもしれないけれど、こだわりを持たずに臨機応変に変えていく。

そう考えると、これからの時代はそういうことが求められるのかもしれない。
それが、成熟した人格を持つ人の生き方なのだ。

怖れや不安を捨てて自由に生きていこう

怖れや不安が戦いの人生をもたらし、戦うために計画を必要とする。

世の中は弱肉強食の世界で、食うか食われるかだ。
だから、食われないように強くならなければいけない。
そのためには、計画が必要になる。

こんなイメージを持っていると、いろいろなもの縛られた苦しい人生になる。
結局そういうことなんだと思う。

だから、怖れや不安を捨てて、盆栽のような苦しい生き方じゃなくて、自由に枝を伸ばしていけるような人生を歩いていきたい。
そんな風に思いませんか?

まとめ

人生は戦いだ。
そう思っていると、無理やり自分を成長させようとして、結果、自分を縛るようになる。

計画とは、盆栽を縛る針金のようなものなのかもしれない。

自分を縛るのをやめて、自由に枝を伸ばしていこう!