自分の思い通りに生きる方法

海辺ポーズ
Marion Michele

僕は整体師であり心理カウンセラーなので、クライアントの心と身体の事ばかりを考えている。

どうして、この人は肩がこるんだろう、腰が痛くなるんだろう?
どうして、こころが病んでしまうのだろう?

そんな事ばかりを考えているから、当然のことながら、心と身体の側から世の中を見る、という視点になる。

こういう視点を持っている人というのは、多そうに見えるのだけれど、実は少ないのではないかと感じることがある。

心と身体の側からの視点で物事を見ていると、世の中にはいろいろな問題があると感じる。

社会の側から見た時の問題点

会社や組織の問題、社会の問題、政治の問題も、会社側からの、組織の側からの、あるいは、国の側からの視点で物事を考えている人が多いように感じるし、そういう視点でものを考えている人のほうが、何となく偉そうにしている。

社会の側からの視点で物事を考えるとどうなるかというと、「全体の利益のためには少々の犠牲は仕方がない」という感覚になりがちなのだ。

一つ例を挙げると、コンビニエンスストアが24時間営業をしている問題点。
確かに、商売として考えた時に、他の商店が営業をしていない時間帯に店を開ける、というメリットはあると思う。
しかし、これは商売としての視点。

しかし、身体という視点から見れば、昼行性の動物である人間が深夜に働くことが身体に与える悪影響は計り知れない。
この問題は、24時間操業の工場などにも当てはまる。

仕事の性質上、例えば、病院とか警察など、どうしても夜勤が避けられない職種もあるのだけれど、出来ることならば、このような仕事は減らしていくことが望ましいと思う。

人間の身体は、夜中に働くように出来ていない。
夜には睡眠をとるのが自然なのだ。

もし、働く人たちの健康を考えるのであれば、不必要な24時間営業などやってはいけない。
深夜に営業している店が減れば、客もみんな家に帰らざるを得ない。
客もまた、健康を損なうリスクが減る。

社会とは国家とは何か

このような視点で考えると、いったい社会というのはどういうものなのだろうか、思う。
個人の集合体が社会なのか、それとも、社会ありきで個人はただの構成員の一人にすぎないのだろうか?

もちろん、この「社会」を「国家」と置き換えても良いかもしれない。

国家は個人の集合体なのか。
それとも、国家ありきで、個人が存在しているのか。

「国益」という言葉があるが、国益のために個人が犠牲になることが良い事なのかどうか。

などという問題についても、視点が変われば意見が変わるのは当たり前のことなのだと思う。
どちらの側に立つか、という問題なのだ。

そして、いつも不思議に思うのは、政治の話になるとなぜか国家の視点で話をする人が多いということ。
政治家でもないのに、なぜ、国家の視点から話をするんだろうか?
僕にはそれが不思議なんだよね。

社会を自分の側から見ればいい

心と身体の側面から社会を見ている僕からすれば、今の日本の社会は個人の側に立っていないように見える。

だから、生きづらさを感じている人が多いのだ。

しかし、社会はとても複雑で、いろいろな顔を見せる。
どのような視点で、どのように見るかによって、見方が変わってくるのだ。

自分の人生を考えた時には、社会の側から自分を見るのではなくて、自分の側から社会を見るようにすればいい。
自分にとって、都合よく社会を見ることによって、社会を利用することができるようになる。

社会が要求するような自分になろうとするののではなくて、自分にとって生きやすい生き方をするために、社会を利用するという立場に立てばいい。

僕はそう思っている。

まとめ

社会の側の視点に立って、社会が求めているような生活を送る必要はない。
自分の心と身体の側に立って、社会を利用するような考え方をすればいい。

世の中の多くの人たちは、社会や国家が求めるような人間にならなければ生きていけないと思いがちだけれど、そう考える必要はない。

上手に社会を利用する側になろう!