人生は、時に「運」が大きく左右する。
どんなに努力をしていても、報われるとは限らないし、思いもよらぬところから幸運が舞い込むことも有る。
運とは、コントロールできないもの。
人知を超えた力が働いている。
そう思って、神様や仏様の力を借りようとしたり、開運グッズを買ってみたり、ゲンを担いでみたり、場合によっては高額な壺を買ったりする(苦笑)
でも、僕は理系脳なので、そういう怪しげな力が存在しているとはあまり考えない。
(”あまり”ということは、ちょっとは考えるんだけれどね。)
運とは確率論だと思っている。
自分のところに幸運が舞い込んでいくる確率を意識的に上げていくことによって、幸運を呼び込むことができる。
もちろん、100%うまくいくということはない。
不運だってやってくる。
しかし、そもそもこれは確率論なのだ。
上手く行かないことがあっても、落ち込む必要はない。
自分の能力を磨く
運を味方につけるためには、自分の実力を上げておく努力をしておく。
自分にできないことが向こうから舞い込んでくることはないし、タイミングが合わなければそれは幸運とは呼べない。
機が熟した時に、自分に実力が備わっている時に、それは幸運と呼べるものになる。
実力が上がれば、運に恵まれる可能性が上がってくる。
これは事実だ。
そのために、自分を磨くことを怠ってはいけない。
自分の人間性を磨く
人間性が良ければ、人から好かれる。
人から信頼される。
信頼されれば、幸運がやってくる確率が上がってくる。
笑顔を忘れない。
きちんと挨拶をする。
感謝を伝える。
人の話をよく聴く。
誠実に、真摯に対応する。
いつも辛気臭い顔をしていて、挨拶もろくしない人間には幸運がやってくる確率は低い。
容姿を磨く
確率を上げる、という意味では外見も大切だ。
だらしない服装に、不潔な髪型、不健康でだらしない体型では、幸運がやってくる確率は低くなる。
外見はいいほうが良いに決まっている。
生まれつきイケメンや美女じゃなくても、清潔感のある服装や健康的な体型を手に入れることはできるはずだ。
これは、確率論の話なのだ。
確率を上げていくために、自分にできることをやる。
そういう考え方は必要なのだ。
発信をする
自分にどんなことができるのか、何がやりたいのかを、事あるごとに話をすることが大切だ。
自己紹介の時でも、雑談の中でも、短い言葉でもさり気なく表現できるようにしておこう。
さらに、SNSやブログなどを使って、発信しよう。
どこからどんな幸運が舞い込んでくるかわからない。
しかし、発信しなければあなたが何を望んでいるか誰にも伝わらない。
部屋にこもって待っているだけでは、幸運は訪れない。
積極的に発信するとこで、幸運がやってくる。
好きなことをやる
好きなことをやっている時や、好きなことの話をしている時には、その人の表情は自然と輝く。
そして、同じ趣味を持つ仲間が増える。
仲間が増えることで、幸運がやってくる確率が高くなる。
好きなことをやっているときは、そのことに没頭できる。
没頭できることは、どんどん上達していく。
自分能力が上がれば、幸運が訪れる確率はどんどん上がっていく。
失敗を恐れずチャレンジしてみる
うまくいくかどうかは、やってみなければわからない。
もちろん、失敗することもあるだろう。
しかし、失敗を恐れすぎてチャレンジをためらっていたのでは、幸運を引き寄せることはできないだろう。
成功するかどうかも確率論だと言っていい。
確率を上げていく努力はしなければいけないけれど、100%うまくいくなどという保証があるわけでもない。
世の中には「絶対」などということはないからだ。
失敗したら、それはそれで経験値が上がるだけだ。
そう考えることできたら、きっとうまくいくだろうと楽観的に信じてやってみるしか無い。
失敗を恐れて行動をためらっていたのでは、何も得ることはできない。
幸運を引き寄せる確率は低い。
失敗から学べることは多い。
その失敗が、後に幸運に繋がる可能性もある。
運の良い人に会いに行く
幸運は人づてにやってくる。
特に、上記に上げたような、幸運を呼び込みやすい人とつながっておく。
すると、その人を介して幸運がやって来ることが多い。
また、そういう人からは学ぶことが多い。
もちろん、今の世の中、実際似合わなくてもよい。
SNS上で知り合っておくだけでも、あるいは、フォローしているだけでも、その人から学ぶことができる。
自分の周りにいる人たちが、運の良い人の割合が増えていけば、当然のことながら幸運に恵まれる確率が上がっていく。
世の中はご縁で回っている
この世の中は、ご縁でまわっている。
自分の人生も、ご縁に左右される。
偶然の出来事の連続で人生はできている。
しかし、自分が意図的に良いご縁を引き込むことはできるはずだ。
この考え方は、心理学者のクランボルツが提唱する「計画的偶発性理論」と同じだ。
自分が良いご縁に恵まれる確率を、計画的に上げていこうという話だ。
幸運を呼び込むために、自分に出来ることはたくさんあるはずだ。
まとめ
「運が良い」というと、なんだか「神に選ばれしもの」みたいな感じがして、自分の能力を遥かに超えた、自分にはコントロールできないものと言うイメージがあるけれど、僕はそうは思わない。
「運が良い」というのは、理系的な考え方をすれば「良いことが起こる確率が高い」と言える。
確率論で考えれば、確率を上げていくことは可能なはずだ。
どうすれば幸運を引き寄せる確率が上がるか。
こういう視点でものを考えていくことは大切なことだと思う。
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