世界保健機関(WHO)憲章には、健康の定義が以下のように書いてあります。
健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。
到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別
なしに万人の有する基本的権利の一つである。
ちょっと訳が固いですが(笑)
これを初めて目にしたときには、なるほど、素晴らしい!と思いました。
WHOの健康の定義は理想的すぎないか?
しかし、整体師として人々の健康に携わってきて、今は少し違う感想を持っています。
この健康の定義は素晴らしすぎて、果たしてこの定義でいうところの健康な人は、いったい何人いるのだろうか?と思うのです。
体調には必ず波があります。
調子が良い時と悪い時があるのが当たり前なのです。
体調と同じように、人生においても必ず波があります。
浮き沈みがあるのが当たり前なのです。
社会的にもそうですよね。
社会も良い時と悪い時があるのが当たり前なのです。
悪い時にはそれを修正するようにし続けることが大切で、この行為が健康を作り、維持していく原動力になるのです。
西洋医学と東洋医学の違い
この健康の定義は、西洋医学的な思想がベースにあると思います。
西洋医学では、健康は善で病気は悪。悪は徹底的に排除しなければならない。
そういう思想があります。
これに対して、東洋医学では、病気は体のサインだと考えます。体の調子が悪いということを知らしめるためのサインで、それはそれで意味があるのだという思想です。
当然体調には波があるし、歳をとればあちこちが弱くなっていきます。
どこかに不調を抱えつつ生きているという人がほとんどなのではないでしょうか?
このWHOが定義する健康な人など、ほとんどいないのではないかと思うのです。
身体のサインを受け取って養生することが大切
東洋医学的な思想でいえば、健康か健康でないかなどと考えること自体がおかしいのです。
大切なのは、身体からのサインをしっかりと受け取り、養生をすることです。
要するに、自分の身体を大切に扱うこと。
サインを抑え込むような対症療法は、短期的には楽になるかもしれません。
しかし、長期的には良いこととは言えないのではないでしょうか。
体調が悪いことも含めて、自分の身体を大切に扱う。
そういう発想が大切なのだと思います。
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