常識に縛られて苦しむのはバカバカしい

羨む女性

新型コロナウィルスのおかげか、これまで常識だと思っていたことがどんどん変わっていくのを感じる。
常識なんて、時代によってどんどん変改していくものなんだということを目の当たりにしている。
これほど急激に、常識が変わっていく子とはなかなかないので、興味深く見ている。

大抵の場合、常識は時代とともにゆっくりと変化していく。
変化がゆっくりの場合は、変化したことに気がつかないことが多い。
多くの場合は、20年、30年前のことを振り返ってみたときに、かなり変化していることに気づくのだ。

いづれにしても、常識というのは時代とともに変化する。

さらには、自分が属している集団や、国、地域が変われば、それまで自分が常識だと思っていたことが通用しないことも多い。
つまり、常識というのは、ある特定の集団だけに存在する共通認識であって、真理でも何でもないということなのだ。

しかし、そんな常識に縛られて苦しい思いをしている人は多い。
それが原因で、幸せな人生から大きく外れてしまっている人だってたくさんいる。
かつての僕もそうだったし、心理カウンセラーとしてそんな話をたくさん聞いてきた。

コロナが常識を壊していく

新型コロナウィルスのせいで、経済がかなりの影響を受けている。
だからと言って、すべての業界がダメなのかと言えばそうでもない。
外食産業は壊滅的な打撃を受けているけれど、宅配や通信販売などはむしろ好調だ。

特筆すべきは、インターネットだろう。
スマートホンの出現が社会を変えたように、今回のコロナのパンデミックも社会を変えるようなインパクトがある。

これまで、ネット上の飲み会なんて、考えもつかなかったけれど、これによってその楽しさを知ってしまった人も多い。
さらには、ネット飲み会で居酒屋気分を味わえるサービスも今後増えるかもしれない。
ネット上の居場所と、デリバリーサービスを組み合わせたビジネスも出てくるかもしれないのだ。

そんなビジネス、これまでだったら考えもしなかっただろうけれど、いち早くそういう形態を模索している人たちが出てきている。
これはすごい変化だと思う。

ネット飲み会は、飲み会に場所という概念を取り去ることができた。
遠く離れた友人ともお酒を飲むことができるということに、多くの人が気づいてしまった。
これはものすごい変化だと思う。

ただ、だからと言って、実際に会うことの良さが損なわれたわけでもない。
コロナの問題が解決できるようになったら、また、リアルの飲み会は頻繁に行われるようになるだろう。
でも、私たちは、もう一つの選択肢があるということに気づいてしまった。

オンライン授業

学校の在り方も問われている。
これをきっかけにオンライン授業に取り組む学校も出てきた。

私の長男は、今年、N高等学校というオンライン上に展開する通信高校に入学した。
先日、その高校の授業を視聴させてもらったのだが、その効率的な教え方に驚いた。

高校の授業というのは、大抵の場合45分という時間が決められていて、学校の先生はその時間をどのように使うかを考えて授業を組み立てる。
導入から始まって、45分間生徒の集中力を持続させるために、時には冗談を言ったり、よけいなたとえ話を入れて横道にそれたりする。
僕自身も、整体の専門学校で長年講師をしていたので、それが当たり前だと思ってる。

しかし、N高の授業は全く違う。
生徒の集中力を高めるために、短時間で動画が終わるように工夫されている。
僕が見せてもらった動画は、約5分程度だった。
5分の動画を見て、演習をして、その答え合わせと解説の動画を見る。
IT技術を駆使して、いかに効率よく理解してもらえるか、という視点で作りこまれているので、余計な時間がかがらない。
板書の時間もないし、もちろん、先生の無駄話もない。
つまり、一コマ45分という概念から解放されているから、根本的に授業の進め方が違うのだ。

しかも、生徒はしっかりと理解してから次の動画に進むことができるので、うやむやのまま進んでしまってあとから取り返しがつかないことになってしまう、なんていうこともない。
僕の長男は、中学時代にそれで苦労した。
N高のような進め方なら、みんなで同時に同じペースで進んでいくことによって、落ちこぼれていく危険性がない。

これこそ、常識を壊していく存在なんだと思った。
ネット授業が当たり前になれば、これまでの学校の常識が変わっていくかもしれない。

働き方の常識

テレワークが当たり前になると、働き方の常識も変わってくるだろう。
そもそも、「一日8時間働くのが正社員」というイメージが変わるかもしれない。

これまでは、勤退管理と言えば労働時間で管理するのが当たり前だったけれど、自宅勤務が増えれば勤務時間という概念があやふやになる。
何が何でも時間管理にこだわれば、社員が何時間仕事をしたのかを把握する必要が出てくる。
そのために、パソコンの前に何時間座っていたかを監視するシステムが開発されているが、評判はすこぶる悪い。
そもそも、社員はさぼるものである、という思想が前提にあるから、管理される側としてはいい気分がするわけがない。

オフィスの問題もある。
居心地のいいオフィスを作ることに、会社はどれくらいのコストを払ってきたのだろう。

アクセスの良い場所に広いオフィスを借りるのは、ものすごいコストがかかる。
さらには、通勤費も馬鹿にならない。
ところが、社員の多くが在宅でよいのであれば、広いオフィスは必要ないし、便利な場所になくてもよい。
通勤費も節約できるので、その分、別のことにお金を使うことが可能になる。

こうなってくると、社員が住んでいる場所についても制約がなくなってくる。
なにも、地価の高い都心の近くに住む必要もなくなってくるので、自然豊かな地価の安い場所で暮らすことができる様になる。

常識を疑おう

新型コロナウィルスるによって、「常識は変わるものである」ということを目の当たりにしている。

常識に縛られる必要ない。
常識に苦しむ必要はない。

常識に縛られずに、柔軟な発想をしよう。
変化を受け入れ、柔らかく生きていこう。

その柔らかさを手に入れた時、楽に生きていけるようになるし、幸せが見えるようになる。

まとめ

常識とは、その集団特有の共通認識でしか過ぎない。
それは、集団が違えば全く違うし、時々刻々と変化していくものだ。

そんな、あやふやな「常識」というものに縛られて、苦しむのはバカバカしいことなのだ。

もし、あなたを苦しめる「常識」があるなら、まずはそれを疑ってみよう。
なぜなら、そんな「常識」は真理とは程遠いものだからだ。