差別について考えてみた-日常に潜む差別の発端

仮面をつけた主婦 時事問題
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米国の黒人差別反対運動が、大坂なおみ選手の全米オープン優勝によって話題になっている。
彼女が、米国において警察に不当に殺された黒人被害者の名前をプリントしたマスクをして試合に臨んだことで、この話題に波紋が広がっている。

それにちなんで、僕なりに差別について考えていることを書いてみたい。

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差別が起こるメカニズム

僕はカウンセラーなので、クライアントの話を聴くときは、先入観や偏見を排除することを意識している。
そうしなければ、僕自身の価値観に沿ってクライアントを見てしまうし、判断してしまう可能性があり、クライアントのありのままの心にアクセスできないからだ。

本来ならば、どんな人に相対するときでも、このような姿勢を貫く必要があるのだけれど、一人の人間を理解するのは簡単なことではないので、無意識のうちに相手の属性によって判断してしまう。
実は、この行動が差別の始まりだと考えている。

本人の力ではいかんともし難い、性別や肌の色や出自などでひとくくりにされて判断されてしまう。
多くの日本人も黄色人種としてひとくくりにされて差別を受ける対象になっている。

無意識のうちにやっている

実はこういうことはとても身近にたくさん起きている。
血液型、星座、干支などによって判断されたり、出身国、出身県、学歴、性的マイノリティ、前科、独身か既婚者か、離婚経験があるか、シングルマザーか、金持ち、貧困、家柄、昭和生まれか、年齢、容姿等々、あらゆることで先入観を持たれて、決めつけられてしまう。

さらには、自分や他人を理解するためのツールまで開発される始末。
例えば、エニアグラムとか。

エニアグラム(ウィキペディア)

本来、人間は誰一人として同じ人はいないはず。そして、一人の人間を理解するのはとても大変な作業で、本人すらよくわかっていないことも多い。
それを乱暴に分類して、わかったつもりになって攻撃をして。

それが、差別の本質だと思う。

ここ本質を理解しておかなければ、「差別反対を叫びながら、知らぬ間に誰かにレッテルを貼って差別している」ということが往々にして起こる。

大坂なおみ選手を批判している人たち

先に述べたように、全米オープンにおいて大坂なおみ選手がとった行動は勇気ある行動だと思うし、そのうえで優勝したということがまた素晴らしいと思う。

しかし、この彼女の行動に対して批判的な人が多数いるという事実も浮き彫りになった。

彼女を批判する人たちの主張を読んでみると、どうも、米国での黒人差別反対運動に乗じて暴動を起こしたり略奪行為を繰り返す人たちがいて、彼女がそれらの暴力行為を肯定している、と言っているのだ。
これも一種の差別であると僕は思う。

「一部の人間の行為を見て、その属性の人たちがすべて同じである」と決めつけることから差別は起こる。
そのことをまさに目の前で見せられている気がする。

黒人差別についても、「黒人に凶悪犯罪を犯す人が多いのだから、警察が警戒して厳しく当たるのは当たり前である。」
という論調もある。

しかし、黒人にもとても素晴らしくまっとうな暮らしをしている人たちもいる。
さらに、白人にだって凶悪犯罪を犯す人はいるはずだし、理屈として成り立っていない。

結局、一部の人を見て全体がそうであると決めつけること自体が差別の始まりだと言っていい。
これは、黒人差別に限らずどこにでも見られる現象だ。

差別をなくすには

じゃあ、差別をなくすにはどうすればいいのだろうか。
僕の考えでは、その人の属性や出自によって偏見を持たずに、一人の人間として相対するということだろう。
つまり、人として尊重するということ。

先にも書いたけれど、僕はカウンセラーだから、偏見を持ったりジャッジしないような訓練を受けたからできるけれども、多くの人はそんな訓練をしたことはないだろうし、無意識のうちにやっていることなんだと思う。もちろん、僕だって完ぺきに出来るわけではないけれど、なるべく意識するようにしている。

まとめ

人を理解しようとするときに、その人の属性から判断して偏見を持つことがある。
そして、それが差別の原因になっている。

人は誰一人として同じ人はいない。
人を理解しようとするときに、カテゴライズして理解した気になってはいけない。

その人を、そのまま理解しようとすること。
その姿勢が差別をなくすことになると思う。

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