人間の心理の特徴として、自己決定というのがとてもである。
自分で決めて自分で行動することによって、満足感を得られるという特徴がある。
誰かから強制されてやることほど、苦痛だしつまらない。
自分の意志で主体的にやったと思いたい。
そういう欲求が強いのだ。
結果的に同じ行動を取るにしても、自分で決めたことであれば満足感と達成感を得られる。
つまり、その行動を起こすまでの過程によって、つまり、強制されてやったのか自己決定したのかによって、そこから得られる満足感が違うのだ。
「勉強しなさい」と言われるとやる気を失う問題
おそらく経験がある人は多いと思うが、親から「勉強しなさい!」と言われた瞬間にやる気を失いことがある。
「いまやろうと思ったのに~(怒)」というセリフを吐いたことがある人は少なくないはずだ。
親に言われる前に始めてしまえば、「自分の意志で勉強をして自分は偉い。」という感覚を感じることができたはずなのに、先に「勉強しろ!」と言われたことによって、その気持ちよさを感じることができなくなってしまった。
「自分の意志で勉強をする自分」になれるチャンスを潰された挙げ句、「親に言われて仕方なく勉強をする情けない自分」という「なんとなく親に屈服した感」を感じる羽目になる。
その、「屈服した感」が嫌なので、反抗期の場合は「意地でも勉強しない」という自己決定をすることによって、屈服しない自分でいることを選択したりする(笑)。
そんなことをしても、自分にとってはなんの得もないのだけれど、自己決定権を守ることはできるのだ。
それくらい、自己決定をするということは、人間にとって重要なことなのだ。
一方で怠惰な自分がいる
しかし、人間は元来、楽をしたいと思うものだ。
面倒くさいことや、嫌いなことはやりたくのが普通なのだ。
そもそも、勉強自体も、誰かからか強制されている場合が多い。
自分がやりたくないと思っていることは、ある程度の強制力がないとなかなか行動に移せないからだ。
このあたりがまた、人間らしいといえば人間らしい。
自分で全てコントロールできているのであれば、そもそも、周りから強制される必要はないし、先の例で言えば、親から「勉強しなさい!」などと言われることもないわけだ。
自分の人生は自分で切り開くしかない
自分の人生は、自分で切り開くしかない。
誰も自分の代わりになってはくれない。
親が子どもの代わりに勉強することはできない。
これは、自分の問題なんだ。
自分を育てて、自分を磨くことができる人間は自分以外にはいない。
誰も自分を磨いてくれない。
これは厳然とした事実で、何歳になろうが関係ない。
自分が自分を磨こうとしない限り、周りの人間は手の出しようがない。
自分で自分を磨こうしている人には、たくさんの援助の手が伸びてくるのだけれど。
まとめ
拗ねていても何も始まらない。
自分で動くしか方法はない。
自分を磨くことができるのは自分だけ。
自分の人生なんだから、自分で切り開くしかないんだよね。
そして、そうやって自分の意志で切り開いた人生のほうが、圧倒的に満足感が高いのだ。
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