日本は自由の国。
言論の自由、信教の自由、職業選択の自由、移動の自由、などなど、さまざまな自由権が保障されている。
にもかかわらず、精神的に不自由な人が多い、という印象がある。
メンタルを病む人は精神的に不自由な人
心理カウンセリングをやっていると、いろいろな人の悩み事を聴くことになる。
そういう人たちは、どうにもこうにも、とても不自由なのだ。
自由が認められているこの国で、精神的に不自由なのだ。
精神的に不自由ということは、言い換えれば、自分で自分の自由を奪っている。
自分には自由でいる権利が認められているということを、意識したことが無いのだろう。
自分にも、周りの人にも、自由でいる権利があるということがどういうことなのか、と考えたことが無い人が多いのだと思う。
同調圧力の正体
日本は同調圧力が強い国だということを意識している人は多い。
この、目に見えない同調圧力が不自由の原因だろう。
精神的に不自由な人は我慢をしている。
みんな我慢をしているのだから、我慢するのが当たり前だと思っている。
そういう人は、他人にも我慢を強いる。
自由にしている人が許せないのだ。
みんなが我慢していると、自由にしている人が目につく。
目障りなのだ。
みんなが我慢しているのに、ある人だけ自由にしているなんて許せないのだ。
だから、他人に対して、お前も俺たちと同じように振る舞え、我慢しろと要求する。
これが、同調圧力の正体なのではないだろうか。
和をもって貴しとなす
日本は「和の国」という。
「和をもって貴しとなす。」という言葉がある。
これは、聖徳太子が制定したとされる十七条憲法に出てくる言葉だ。
また、日本人は「絆」という言葉が好きだ。
これは、人と人とのつながりを表す言葉だ。
こういう言葉を重んじる国民性が、強い同調圧力を生む。
個人よりも、集団を重んじる傾向にある。
これが行き過ぎると、集団のために個人が犠牲になるのはやむを得ない、という感覚になる。
これは僕の意見だが、個人を守るために集団が機能するのだと思う。
助け合い、補い合って生きていくのが集団の機能であって、集団のために個人があるのではない。
自由な人は他人の自由を認めることができる
精神的に自由な人は、他人の自由を認めることができる。
自分も自由にしているのだから、あの人も自由にしていてよい。となる。
自由にしている人が目障りということにはならない。
精神的に自由な人たちと付き合うようになると、自分が自由でいられるようになる。
自由で良いんだと思えるようになるのだ。
他人の自由を奪うことはできない
自分が自由でいるためには、他人の自由を奪うこともできないはずだ。
他人を拘束したり、他人の時間を奪ったりはできない。
もちろん、ある人が主体的に自分のために時間を作ってくれるのであれば、他人の時間を無理やり奪うことにはならない。
その人の自由意思で、自分のために時間を作ってくれているのであるから。
つまり、他人の自由を尊重するということは、その人の意思を尊重するということ。
その人を尊重し、敬意を払うことが必要になる。
そして、ありがたいという感情、感謝の念が自然に湧いてくる。
みんなが自分の意思で動ているのであれば問題はない。
自由とは主体的であるということ
つまり、自由というのは、主体的であること言うこと。
自分の意思で動くということ。
そして、他人の意思を尊重するということ。
日本は自由の国。
僕たちは自由の国に生きているんだ。
まとめ
自由の国に生きているのだから、もっと自由になって良いはずだ。
にもかかわらず、精神的に不自由な思いをしている人は多い。
もっと自由に、主体的に生きていい。
だれも、あなたの自由を奪うことはできないんだ。
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