社会観によって人生が大きく変わってくる

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行きかう人々
mauro mora

このブログを読んでいる人に、一つ質問があります。

あなたは、社会というものについてどのようなイメージを持っていますか?

おそらく、こんなこと意識的に考えたことはないと思いますが、この際だからしっかりと考えてみてください。

この社会観についても、人はいつの間にか、無意識のうちにあるイメージを作り上げている。
しかし、それを意識的に考えることはほとんどないのではないか。
僕はそんな風に考えている。

しかし、この社会観が、人の人生に大きな影響を与えているのは疑いようのない事実だし、当然のことながら、正解のない問題でもあります。
社会をどのように見ても、それはその人の自由だし、正しいとか間違えているとか、議論するような問題でもありません。

社会観を作り上げる過程

社会観にはいろいろあると思いますが、僕がうつ状態に陥る前は、以下のように思っていました。

学生時代にしっかりと勉強して、いい大学に行って、いい会社に入るなどして安定した収入を得て、ちゃんとした大人としての人格を身につけなれば生きていくことはできない。
いつまでも、自分の好きなことばかりをやっているわけにはいかない。
地に足をつけて、地道に歩いていかなければ、生きていくことがままならない厳しいものである。

まあ、こんなイメージを持っていたように思う。

このイメージは、もちろん両親が僕に植え付けたもので、それをもとに、様々な情報からこういうイメージを強化していった。

人は、自分の考えや価値観と親和性の高い情報はすんなりと受け取るのだけれど、自分の考えと違う情報は、無意識のうちに受け取らないようにしている。
したがって、意識していないと、もともと持っている価値観を強化するような情報ばかりを受け取ってしまうのだ。

だから、僕は上記のような価値観を持っていたので、例えば、両親以外の大人の言動や、テレビドラマや歌の歌詞や、ニュース、小説、映画などからも、同じような社会観を受け取って、そのイメージを強化し続けていたのだ。

そうやって、どんどん、無意識のうちに社会観を作り上げてしまうのだ。

会社を辞めるのが怖かった

僕は、33歳の時に会社を辞めたんだけど、ほんと、会社を辞めるのが怖かったんだよね。
僕が勤めていた会社は、日本でも有数の大企業の子会社で、会社自体はそんなに大きくはなかったけど、グループ全体でみれば本当に大きかった。

そんな会社を辞めて一人で社会に出ていくというのは、例えば大きな船から一人で海に飛び込むような気分になっていた。
その海には、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住み着いていて、いつ食われるかわからない。そんなイメージだったんだよね。
僕の社会に対するイメージというのはそんな感じだった。

それまでの人生は、先に述べたように、嫌でも勉強していい大学にはいって、いい会社に入って、つつがなく人生を全うするのが、正しい人生の歩き方であると思っていたわけ。

そのレールから外れると、とんでもない人生になってしまうと脅されていたんだよね。結局。

この世は、弱肉強食の競争社会。
ちょっとでも気を抜けば、足元をすくわれて、食い物にされてしまう。
そして、底辺に沈んでしまうと、その後はずっと浮上できない。

そんな社会観を植え付けられていた。

そんな社会観に亀裂を入れてくれた人

そんなガチガチに硬直した社会観に亀裂を入れてくれた人が、今の嫁さんなんだよね。

彼女はいわゆる学歴社会とは無縁の人生を歩いていた。
大げさに言うと、僕とは違う世界に住んでいたのだ。

学校の勉強には興味を持たず、いい学校に行くことにも興味を持たず、ただ、自分が興味があることに向かって真っすぐ歩いているような人だった。

当時の彼女は、シュガークラフトというケーキのデコレーション手法を手掛けるパティシエだった。
シュガークラフトの日本の第一人者のもとで働いていた。

僕が彼女と知り合ったのは、僕がうつ状態に陥る直前のこと。
自分の人生の嘘(自分の気持ちに嘘をついて生きていること)に気づき始めていたころのこと。

僕が持っていた人生観とは違う人生を歩いている人を見て、僕は失礼にも、「こういう生き方はだめだ、生きていけないぞと言われていたまさにそんな生き方をしている人も、こうやってちゃんと生きているじゃないか!」ということに気づかせてくれたのだ。

僕の周りには、そういう人はいなかった。
いや、正確に言えば、いたんだろうけど僕が見ていなかっただけなんだろう。

いい学校に行って、いい大学に行って、サラリーマンになるというレールを歩いていると、知り合う人はみんなそんな社会観を持っている人たちばかりなのだ。
学校でも、会社でも、取引先でも。

シャバは懐が深い

さて、会社を辞めて、船から飛び降りてシャバに出てみて僕が見たものは、本当に様々な生き方をしている人たちだった。
世の中には、いろいろな価値観があって、いろいろな人生観、社会観があることがよくわかったし、多種多様な人たちが穏やかに暮らしているという世界が広がっていた。

当たり前だけど、「生き馬の目を抜く」とか、「弱肉強食」というイメージはなかった。
それはむしろ、サラリーマン社会のことだった。

その外側には、サラリーマン社会よりもずっと、穏やかで懐が深くて優しい世界があった。
当然のことながら、魑魅魍魎が住んでいるようなところではなかったのだ。

社会観が人生を左右する

もし、こんな社会観を最初から持っていたら、あんなに不安になる必要もなかったし、がつがつ嫌いな勉強だってしなくてよかったのにと思う。
もっと、好きなことに没頭してもよかったのではないかなと。

僕には、いい大学、いい会社、一生安泰という人生のレールが見えていたのだけれど、実はそんなレールは存在しなかったのだ。

人生というのは、社会というのは、なんでもありのテーマパークのようだと思うんだ。
興味の向くままに歩いて行っていい。
順番も自由でいい。

そして、自分の前にレールがあるんじゃなくて、自分の歩いた後ろ側に、その足跡として人生が出来上がる。
それが人生だと思う。

何も、みんなと同じ道を歩く必要なんてない。
自分だけの道を歩いて良いのだ。

そういう人はいっぱいいる。
ただ、知らないだけなんだよ。

レールが引かれていて、レールから外れると魑魅魍魎に食われてしまう、というイメージを持つか。
なんでもありのテーマパークである、というイメージを持つか。

このイメージの違いで、同じ人生になるとはとても思えないよね。

社会観は変えられる

僕は、人生の途中で社会観を変えることができた。
それを変えるためには、付き合う人を変えること、環境を変えることが大切だと思う。
そして、視点を変え、ものの見方を変え、価値観を変えていくのだ。

人は人の影響を受ける。
付き合う人を変えれば、違う視点を得ることができる。

本をたくさん読んで、いろいろな社会観に触れてもいいかもしれない。
本はその著者の視点を学べる素晴らしいものだ。
自分とは違う視点を持っている人の言葉に触れてみるのはとても良いことだと思う。

社会というのはとても複雑なものなので、視点を変えることで見える姿が変わってくる。
人は、自分が経験したことから物事を判断しているので、経験を増やしていくと、違う判断が出来るようになる。

これまで経験したことが無いことや、あまり話をしたことが無いような人たちと話をすることによって、視点が変わる可能性が出てくる。

視点が変われば、いままでとは違う景色を見ることができるようになる。
そうなれば、社会観は自然と変わっていくのだ。

まとめ

あなたはどのような社会観を持っているのだろう。
そして、それはどのようにして作り上げられたものなのか。

改めて、自分の持っている社会観について考えてみてもいいかもしれない。

そして、自分とは違う人たちのイメージを聞いてみよう。
世の中には多様な人がいる。
みんな違う社会観を持っている。

違うもの触れることで、自分の社会観も変えることができるのだ。

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