人を大切にする社会を作りたい

肩を組む友達 エッセイ
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肩を組む友達

最近になって、ようやくわかったことがある。
僕が若いころから、そう、高校生くらいのころから、ずっと心の中に引っかかっていたことの正体がなんとなく見えてきた。

高校時代も、受験戦争も、サラリーマン時代も、違和感を感じていた。
でも、その違和感の正体がはっきりしなかった。

でも、ようやくわかったよ。
僕がやりたいことは、「人を大切にする社会」を作りたいってことなんだと。

個人の犠牲の上で成り立つ社会はおかしい

人間は社会的動物であるから、何らかの社会(集団)に属している必要がある。

その集団を守るために、ある程度は個人の自由が制限されしまうのは仕方がないことだろう。
その集団が安定的に存在できなければ、個人の尊厳も危ぶまれる。
それもよくわかる。

しかし、個人の尊厳を損なわなければその集団が存在できないのであれば、それは本末転倒と言わざるを得ない。

ところがだ、この本末転倒なことが、当たり前のように行われているし、それが当たり前のことだと認識されているような風潮があることに気が付いた。

これは、企業においてもそうだし、国家においてもそうだと言わざるを得ない。
個人の尊厳が上位概念なのか、それとも、集団(組織、国家)の繁栄が上位概念なのか、という問題である。

集団を守るために個人は犠牲を強いられている。
それが当たり前のことであるという風潮がこの日本という社会には蔓延しているような気がする。

何のために集団が形成されているのか?
それは、個人のためではないのか?
個人が幸せを追求するための手段として、集団を作るのではないだろうか?
にもかかわらず、集団を守るために個人が犠牲になるのは本末転倒なのではないか?

手段と目的が逆転している。
そういう集団が多いような気がするのだ。

人を犠牲にする企業は多い

僕はずっと、人の健康が気になって、健康の分野で活動してきた。
だからこそ、社員の健康のことなんて何も考えていない企業がたくさんあるということが気になって仕方がない。

長時間労働、サービス残業、パワハラ、セクハラ、いじめ。
個人の尊厳なんてどこへやら。
会社さえ儲かっていればそれでいい。
そんなブラック企業は許せない。

明らかなブラック企業ではなくても、「仕事なんだから自分の健康なんて少しくらい犠牲にして働くのは当たり前だ」と考えている人も少なくはない。
仕事とはそういうものだ。
そういう認識を持っている人は多い。

少々の熱があっても這ってでも会社に来い。
台風で電車が止まっても、命がけで出社しろ。
少々睡眠不足が続いても、仕事が終わるまでは仕事をしろ。

そういう話を聴くことは珍しくない。
それが仕事というものだ。
仕事に対する責任というのはそういうものだ。

そういう感覚が、日本人の多くの人の共通認識としてあるように思う。

人を大切にする企業を応援したい

僕は、人を大切にする企業を応援したいと思っている。
人を大切にする経営者の力になりたいと思っている。

仕事って、そもそも、人の生活を豊かにするために行うものだと思うんだけど、違うだろうか?
それがいつの間にか、金儲けのために行うように考える人がいる。

人の幸せよりも金儲けのほうが上位概念になっている。
ここでも、手段の目的化が起こっているのではないだろうか?

お客様を大切にする。
従業員を大切する。
世の中を便利に、幸せな人を増やす。
そのためにビジネスをする。

そういう本来の目的を見失わず、そこに邁進している企業を、その経営者を応援したい。
そういう企業が増えることによって、人を大切にする社会ができるのだと思う。

人を大切にする社会を作る

僕がこれから目指すのは、人を大切にする社会を作ること。

社会のために誰かが犠牲になるのではなくて、みんなが幸せになるために社会がある。
そんな社会を作ることが、僕の理想なのだ。

遠くて険しい道のりかもしれないけど、「人を大切にする社会を作る」を旗印(ビジョン)として活動していきたい。

社会が人を大切にしていない。
社会のために犠牲になることを強要している。

そんな社会で生きていくのはまっぴらごめんだ。

こんな僕のビジョンに賛同してくれる方はいませんか。
一緒に、「人を大切にする社会」を作ってくれる人を募集します!

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