僕には子どもが4人いる。
子どもたちは、うちに帰ってくると、好き勝手に遊んでばかりいるように見える。
もちろん、宿題は毎日あるんだけど、それでも遊んでばかりいるように見える。
どこかで、もっと勉強してほしいとか、もっと何かに打ち込んでほしいとか、そんなことをいつの間にか考えている自分がいる。
なんだろうなあ、人生のすべてをかけて何かに打ち込むという姿を見たいという、親のエゴなんだろうなあ、と思うことがある。
どうしてギリギリまで頑張らなければいけないの?
でも、よくよく考えてみると、頑張らなければいけないなどという決まりがあるわけではないんだよね。
本来なら、自分の出力の6割から7割程度で生きていけるなら、それに越したことはないんじゃないかと思う。
それなのに、どうして100%を出さなければいけないと、どこかで思っているのだろうか?
3割くらい余裕を残して、面白おかしく生きていってもいいんじゃないのだろうか。
自分の能力を常に超えていって、120%の力を出せるように、毎日をキリキリとしながら生きていく必要ってあるんだろうか?
子どものころから洗脳されているのでは
結局、親や大人たちから見て、子どもがギリギリと努力している姿を見たいという欲求を満たそうとしているだけじゃないのか?
だから、家でゴロゴロくつろいでばかりいるのが気に食わないのではないか。
自分の子どもにも、どこかのすごい子のように、何かに打ち込んでほしい。
そんな願望を持って、そのように仕向けようとしているような気がするんだよね。
そして、まじめな子どもほど、そういう親のエゴに応えようとする。
そんなこんなで、努力はしなければいけないものだと思い込むようになるのではないだろうか。
努力はしたい人がすればいい
努力をするということは、悪いことではない。
努力をしたうえで、自分が本当に欲しかったものを手に入れることができたら、それは素晴らしい体験になるからだ。
しかし、誰もが努力をしなければいけない、というものでもない。
したい人がすればいいだけなのだ。
楽をして生きていきたいと思っている人は、そうすればいい。
どうして、それがよくないことであるように感じるんだろうか?
まとめ
余裕をもって生きていけるなら、それに越したことはない。
そういう状態を目指してもいいのだ。
これを読んでいるあなたはどうお考えだろうか?
あなたは努力したいですか?
それとも、したくないですか?
あなたの人生なんだから、好きなように生きていけばいいんだと思うよ。
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