僕のクライアントさんに、一度パニック症状が出てしまって、その予期不安から以前のようにバリバリ働けなくなった、という悩みを持つ人がいる。
カウンセリングをしながら整体をしているのだけれど、その根底には、自分を追い込む「ねばらならい」思考が見え隠れする。
先日も、以前なら自分でやれる仕事を、どうしても不安になってしまって部下に振ってしまい、その事で自分を責めてしまって、メンタル的に不調だったと話していた。
「以前なら、何の問題もなく自分でできていた仕事だったのですけど、どうしてもできなかった。自分でやらなければ、という思い込みを捨ててほかの人に仕事を振る事ができたのは進歩したと思ったのですが、以前ならできていたことができない自分に対して自分を責めてしまって。
以前を100とすると、今は75くらいしかできない。そんな感じです。」
と語ってくれた。
僕はその話を聴いて思ったのだけれど、以前の出力を100%だとすると、今は75%で仕事が回せているのだから、それはすごいことなのではないかと。
75%ということは、25%分余力を残しているということ。
その25%の使い方によっては、以前よりももっといい仕事がデキるようになるかもしれないのだ。
残りの25%をどう使うか
残りの25%の使い方として、僕はコンディショニングや遊びや家族サービスに使ってほしいと思う。
良いコンディションでいること、健康であることは、仕事にはとても大切なことだ。
これはもう、仕事の一部だと言っていい。
なので、別に遊んでいるわけではないということだ。
遊びにおいても、リフレッシュできるし、楽しいことや好きなことを持っているということは、パワーの源になる。
また、仕事とは別の視点を持つことによって、新しいアイディアが浮かんでくるかもしれない。
仕事一筋よりも、たくさんの引き出しを持っている人のほうが、柔軟な発想ができるようになる。
また、家族サービスも大切だ。
家庭が円満である事は、仕事にも大きく影響する。
家庭がうまくいかないと、疲労回復も出来ないし、仕事中も心配事が頭から離れない。
安心して仕事に集中できるのは、家庭が円満だからだ。
さらに、余力があれば新しいことにチャレンジできる。
新しいことを学び、新しいアイディアをひねり出し、実際に行動する。
失敗を許容できる。
そうやって、人は進歩していくのではないか。
そもそも、100%出し切らなければいけない、などと考える必要があるだろうか?
余力を持って仕事をこなして生きていけるのであれば、それに越したことはない。
車だって余力があったほうが良い
車やバイクのエンジンだって、常にフルスロットルで走っているわけではない。
エンジンに余裕がある状態で走ったほうが、燃費もいいし故障も少ない。
エンジンですらそうなのだ。
生身の身体を持つ人間であれば、なおのこと余裕を持つことが重要だと思う。
自分の持っている能力を引き出すためにも、幸せな人生を歩くためにも、余力を残しておくことが大切なんだと思う。
ギリギリまで出し切ることが良いことなのか?
「100%出し切ることが良いことである。」という考え方を、そろそろ捨てても良いのではないだろうか?
日本の教育は、「ギリギリまで頑張る事」を美化しすぎる傾向がある。
ギリギリまで頑張った結果、心が壊れてしまったのでは元も子もない。
そもそも、目的は何なのか?
幸せになることではないのか?
自分の能力を極限まで出し切ることが、生きる目的なのだろうか。
75%で生きていけるなら、それに越したことはないと思う。
余力がある人生のほうが、精神的に豊かに暮らせると思うからだ。
まとめ
出力100%まで出し切ることは決して良いことではない。
余力を残して生きていくほうが、ずっと大切だと思う。
僕たちはつい、100%出し切ることを目指してしまうのだけれど、それが良いことであるという価値観を疑ったほうが良い。
余力があったほうが、柔軟でいられる。
そのほうが進歩するのではないだろうか?
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