ちゃんとしてなくていい

ベッドでくつろぐ女性 ストレスマネジメント
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子どものころから「ちゃんとしなさい!」と言われ続けて育つと、「ちゃんとしているのが当たり前で、ちゃんとしていない自分はダメ」という価値観が形成される。

でも、僕は「ちゃんとしていなくていい」と思っている。
なぜなら、人間は生身の動物で、体調にもメンタルにも波があるのが当然だからだ。

疲れている時や落ち込んでいる時があるのが当たり前だし、そんな時に「ちゃんと」なんてしていられない。
休養が必要な時は、だらだら過ごす必要がある。
真面目な人は、そんな時でも「ちゃんとしていないといけない」と思う。
そして、「ちゃんとできない自分」を責めるのだ。
罪悪感を感じながら休んでも、しっかりとした休養は取れない。
特にメンタルの休養にはならない。

常に「ちゃんとする」のは不可能

常に体調も良く、メンタルも充実している、などということはあり得ない。
これは、「いつも晴れていることはない」と同じくらい当たり前のこと。

雨の日には屋外でも行動を控えることも、台風の日には安全な場所に身を移すことも当たり前。
それと同じように、体調が悪い時やメンタルダウンした時には、だらだらと過ごすことも当たり前なのだ。

この当たり前のことに対して罪悪感を覚えることが問題なのだ。

ちゃんとできるときに、ちゃんとすればいい。
ちゃんとできない時には、そういう時なんだと受け入れればよい。

現代は効率を求めすぎる

現代は、いつも絶好調であるという前提で動くことを求めすぎると思う。
効率、生産性を最大限に引き出すことを求められ、体調が悪いなどと言っていられないような状況だ。

だけど、人間は機械ではない。
いつも一定の出力が得られるかと言えば、そんなことはない。

なので、絶好調を基準とするのではなくて、体調が変化することを見込んで、少し余裕を持たせるようなシステム設計にする必要があると思う。

要するに、「ちゃんとできない時があっても大丈夫」という制度設計が必要なんだ。

教育も同じ

教育についても同じことが言える。
「ちゃんとできる」を基準に持ってくるのではなくて、余裕を持たせて生きていけることを基準にする必要があると思うんだ。

基準は余裕をもってできる、そして、調子が良い時には「ちゃんとできる」。
「ちゃんとできる」は当たり前ではなくてすごいこと。
そういう感覚が必要なのではないだろうか。

そもそも、教師自体がちゃんとすることを求められすぎていると思う。
教師だって人間なんだから、余裕をもって仕事ができるような環境を作る必要があるのではないか。
そうでないと、余裕を持てる人間を育てるのは難しいだろう。
今の先生方は忙しすぎる。

ちゃんとできなくてもいい

特に、この日本という社会は、「ちゃんする」ことを他人に強要する社会だと思う。
他人に対して厳しいから、自分に対しても厳しくなる。
そして、自分で自分の首を絞めているのだ。

ちゃんとできない自分を責めなくていい。
そんな日もある。
疲れているんだよ、そういう時は。

そんな時は、余裕をもってだらだらしよう。
ちゃんとしない時があるから、ちゃんとできる時もあるんだから。

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