自分の経験に基づく判断はあてにならない理由

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Drew Beamer

悩める人たちの話を聴いていると、自分が過去に経験したことを判断材料にして、身動きが取れなくなっていることが多い。

しかし、自分の経験というのは、判断材料としてはあまりあてにならないし、それを根拠に将来を予測することはとても危険だと思っておいた方がいいだろう。

にもかかわらず、自分の経験を判断材料にしている人は多いし、それを他人に押し付けたりする人も少なくない。
それは、自分にも、他人にもとても危険なことなのだ。

僕がそう考える理由は、大きく分けて二つある。
その二つについてお話をする。

サンプルが少なすぎる

自分の経験というのは、自分という一人の人間が経験した、たった一つの例にすぎないということを自覚しておいた方がいい。

たまたま、自分だけ経験したことなのかもしれない。
それを一般化して、これからやってくる未来にも同じことが起こると考えたり、他人の身にも起こると考えるというのは、とても乱暴な話だと言えるだろう。

統計的に確率論として考察するのであるなら、サンプル数が少なすぎてお話にならないということ。
自分一人の経験など、将来を予測するためのデータとしては、なんらあてにならないということなのだ。

将来を予測するためには、もっとたくさんのデータが必要になる。
統計的に処理されていなくても、もっと長いスパンで歴史を追っていったり、サンプル数をもっと増やすために統計データを調べたりする必要がある。

自分が見聞きしたことが、どの程度の確率で起こることなのかを考えてみる必要があるということだ。

ところが、これを冷静に、客観的に捉えられない人がとても多い。
自分の経験なので、もちろんリアルな経験であることなので、印象がものすごく強い。
そういう強烈な印象に、バイアスがかかってしまうのだ。

客観的事実として受け止めることはとても難しいとは思うけれども、なるべくそういう思考をすることが大切なのだ。

ましてや、自分の経験をもとに他の人にアドバイスをしたり、命令をしたり、その人の未来を決めつけてしまったり、可能性を限定してしまうのは、迷惑な話であると心にとどめておくべきだろう。

時代が違う

自分の経験が判断の材料としてあまりあてにならないもう一つの理由は、時代が違うということ。
自分の経験というのは、すでに過去の話だ。

過去と現在では、すでに時代背景が違っている。
ましてや、未来の話となると、もっと時代背景が違う。

これだけ社会の変化が速い時代になると、10年も違えば考え方や感じ方が違って当たり前なのだ。
そのことを考慮に入れたり、時代の流れを読むことなく、自分の経験をもとにして判断をしていくというのは、とても危険なことなのだ。

こういう判断をする人のことを「老害」というのだ。

時代遅れの判断では、これからの時代を読み解くことはできない。

本質を見抜く

しかし、だからと言って、経験が全くの無駄になるのかといえばそんなこともない。
物事の本質は、時代を経ても変わらない。

自分の経験の中から、物事の本質を見抜き、それを抽出することが出来るのであれば、その抽出された本質は、判断の基準として大いに役立つ。

本質を見抜くためには、自分の頭で考える必要がある。
考える材料として、歴史を学んだり、理論的思考を学ぶ必要があるのだ。

豊富な経験の中から、本質を抽出して判断をする人は「老害」とは言われないのだ。

まとめ

自分の経験は判断の材料としてあてにならない。

ただ、経験と学びの中から導き出された本質は判断の材料として優れている。

自分の経験に縛られてはいけない。
自分の経験で他人を縛っていはいけない。

もっと広く、歴史を見て、世の中を見る必要があるのだ。

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