「この世は競争社会」という認識は正しいのか?

肩を組む若者
Dimitri Houtteman

僕たちは小さい子供のころから、「この社会は弱肉強食の競争社会だ」というイメージを植え付けられてきた。
競争社会で生き残っていくために、他人よりも少しでもいい点数を取って、少しでもいい学校に行って、少しでもいい会社に入って、少しでもいいお給料をもらう。

そのためには、進学に必要な知識を得るために、時間を有効に使って計算ドリルや漢字ドリルをやらなければいけない。
そうやって、学校が一斉休校した今、自分の子どもたちに必死に勉強をさせようとしている人たちが沢山いるんだろうな。って思う。
僕たちは、少しでも休むと、少しでも怠けると、競争に敗れて社会の底辺に沈んでいくんだという恐怖心を植え付けられる。

負けてしまうという恐怖心が行動原理になる

だから、自分の会社がブラック企業だとわかっても、競争社会で負けてしまって路頭に迷うのではないかという恐怖があって辞めることができなくなってしまう。
いや、そもそも、恐怖心をあおられて、ブラックな働き方を自ら受け入れてしまうようになるし、他人にもそれを強いるようになる。

そうやって、「幻の競争社会」が作り上げられていくんだ。
その競争の中で生きていると、世界は競争によって成り立っているという認識の中に生きるようになる。
そして、競争に負けてしまうと大変なことになるという恐怖心がその人の原動力になる。

そう考えてみると、そんな人生は恐ろしく苦しい。
そんな苦しい人生を歩きたくはない。

この世は助け合い

一方で、「社会はみんなで助け合って形成されいてる」という認識をしている人たちがいる。
人それぞれが得意なことをして、不得意な人たちを助けて、支えあっているという認識だ。

こういう認識をしている人たちは他人を蹴落とす意必要が無いし、恐怖心に支配されていないから安心して暮らしていける。
そして、自分がどのように社会貢献をしていけるのか、ということ考えている。

社会のどこかに困っている人がいて、その人のために自分ができることがある。
自分が役に立つことによって、その困っている人たちが助かる。
自分がもし困る立場であれば、誰かに助けを求めればいい。

そういう世界観を持っている人たちがいるのだ。

社会の見方は自分で選ぶことができる

どちらの認識が正しいか、という議論は必要ない。
どちらもある意味で正しいし、ある意味で間違えている。

あるところでは競争が行われている。
あるところでは助け合いが行われている。

社会はとても複雑なので、その両方が同居しているのだ。
だから、どちらも正しいと思っていいだろう。

ただ、どういう認識を持ってどの界隈で生きていくのか、どのスタンスで生きていくのか、それは選ぶことができる。
それが、自分の生き方であり、価値観というものなのだ。

競争社会に生きて、競争に明け暮れる生き方もいいだろう。
助け合いの社会に生きて、安心して生きていくのもいいだろう。

どちらを選ぶのか、それは自分で決めていいということなんだ。

まとめ

人生は自由である。
自分で生き方を決めてしまえばいい。
自分で選んでいい。

さて、あなたはどんな世界で生きていきますか?
好きなように生きていこう。
全部、自分で決めていいんだよ。