【学び】オンラインで茶道体験-第41回サードプレイスラボ

オンラインお茶会 コラム
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オンラインお茶会

昨日、面白い体験をした。
なんと、ZOOMを使ってオンラインで茶道を体験したのだ。

僕の友人の安斎輝夫さんが毎月開催している勉強会「サードプレイスラボ」にて、表千家茶道教授の水上繭子さんのお話を伺い、お点前をいただいた。
と言っても、オンラインなので実際にいただくことは出来ないのだけれど。

安斎さんのブログ
水上さんのブログ

正直に言って、オンラインで茶道をやるなんて、いったいどんなことをするんだろう?と思っていた。
何をやるのか全く想像がつかなかったのだけれど、参加していろいろな発見があったし、お茶の素晴らしさを体験することができた。

オンラインでこんなこともできるのか。
という、新しい発見があったのだ。

静けさの価値を再認識した

まずは、茶道にまつわる色々なお話を水上さんからうかがった。

茶道の歴史、千利休にまつわるエピソード、キリスト教や禅などの宗教との関係、表千家、裏千家の違いなど、興味深いお話をたくさん聞くことができた。

一通りのお話の後に、水上さんがお茶をたてる様子を見せて頂いた。
この時、解説は一切なしで、それはまさしくお茶室行われるお点前をただ見せていただくだけのものだったのだけれど、それが何とも言えず心落ち着く時間だったのだ。

ZOOMセッションに参加している人たちは、みんな音声をミュートしているので無音状態。
時々聞こえる、お湯を注ぐ音やお茶をたてる音などが、その静けさをますます強調しているように感じる。

その静けさの中で、ただ、水上さんの所作を見るだけの時間なのだけれど、お茶室の凛とした空気感がパソコンの画面から伝わってきて、僕がいる部屋自体を包んでいくのがわかった。
参加している方々も、ただただ、水上さんの所作に見入っているの伝わってくる。
明らかに、オンラインを通して、その静けさと清々しさ、凛とした空気感が広がっているのを感じる。

オンラインでも、こんなことが起こるんだ。
清々しさって伝わるんだ。
それは驚きでもあったし、その清々しさに癒された。

静けさと所作の美しさと、凛とした心地よい緊張感。
そして、そういうものに癒されるという感覚。

とても貴重な体験をさせて頂いた。

現代は情報量が多すぎる

改めて、現代は情報量が多すぎるんだと思った。

「何もない」「無」には価値がないと思い込んでいるのではないだろうか。
でも、「無い」ということには価値があり、それがあるからこそ「有る」ことの価値が引き立つのではないか。

「有る」が善で「無い」は悪。
これは西洋的な考え方のような気がする。
そして、現代人はそういう考えに囚われすぎているような気がする。

「無い」があるから「有る」が引き立つ。
「有る」があるから「無い」の価値がわかる。
これこそ陰陽の世界観だし、東洋的な思想だなあ、などということも考えてしまった。

もうちょっと「無い」ことの価値を見直してもいいのかもしれない。
余計なものをそぎ落としていく価値を再確認するいい機会かもしれない。

無いことを嫌い、恐れるがあまり、「もっともっともっと」と欲望が肥大化していく。
その欲望が資本主義社会の原動力なのだけれど、コロナウィルスはその危険性と脆弱性について警告を発しているのかもしれない。

そんなことまで考えてしまった。

お茶はマインドフルネス

茶道の祖とされる千利休が活躍したのは戦国時代。
織田信長や豊臣秀吉とも交流があったのは有名な話。

食うか食われるかの激しい戦いの時を過ごしていた彼らにとって、茶室の中はすべてを忘れて心を落ち着けることができる場所だったのかもしれない。
「当時のサードプレイスだったのでは」という水上さんお話に納得した。

人間には、日常から離れる時間が必要なんだと思う。
心理カウンセラーとして、その重要性はとてもよくわかっている。

戦国武将ですら、茶室に入る時には刀を持ち込むことはできなかった。
水上さんが主催する「ビジネス茶道」では、スマホを持ち込むことはできない。

戦いの日々から離れて、心を落ち着ける場所。
それが茶室だったのだ。
そして、お茶をたてる、味わうことは、マインドフルネスそのものなのだ。

まとめ

オンラインでも、茶道の良さを体験することができた。
新型コロナウィルスでもなければ、こんなことを体験することはなかったのではないだろうか。

素晴らしい体験をさせて頂いた水上繭子さんと、企画してくれた安斎輝夫さん。
本当にありがとうございました。

コメント

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