人の目が気になるということ

猫の視線

最近、朝のジョギングの時に、ワラーチと呼ばれるサンダルを履いて走っている。

ワラーチは、一部のランナーに愛用されているランニング用のサンダルなのだけれど、まだまだ一般的ではない。だから、まだこれを履いて走っている人は少ない。

とはいうものの、ジワリと広まっていて、ランナーの間ではその存在を知っている人は増えてきている。

僕が初めてその存在を知ったのは、もう多分5年以上前のことだと思う。
そのころは、多摩湖のほとりが僕のホームコースになっていて、そこを走っているときに、サンダルを履いて走っている人とすれ違った。

その時にはびっくりして、思わず振り返ってしまった。

そして、「世の中には変な人がいるなあ」と思った。
そう、奇異な目をそのランナーに向けていたのである。

恥ずかしくない?と聞かれた

それから数年経って、徐々に自分の周りにもワラーチを履く人が増えてきた。
それに従って、自分も履いてみたいと思うようになり、ついに今年、ワラーチデビューを果たしたというわけ。

で、先日とある飲み会でその話をした時に、ランニングをしている友人から、「サンダルで走っていて恥ずかしくない?」と聞かれた。

その質問を受けるまで、自分が恥ずかしいと思っていなかったことに気がついた。

確かに、最初にワラーチの存在を知ったころには、「あれを履いて走るのは勇気がいるな」と思っていたかもしれない。
自分が最初にサンダルランナーを見た時に奇異な目を向けていたことを覚えていたからだと思う。
だから、自分もそういう目で見られるだろうと思うのだ。

でも、今はそんな感じは全くなくて、むしろ、サンダル特有の解放感を感じていて気持ちが良い、というのが本音だ。

人の目とは何か

結局、自分が他人に対してどのように思っているのか、自分の他人に対する見方がで自分も見られているのではないかと思ってしまうということなのだ。

ワラーチで走っている人に対して、「変な人だなあ」って思っていると、自分がワラーチを履いて走っていると「変な人だと思われているのではないか」という感覚になる。

それが、「人の目が気になる」という現象の正体だ。

つまり、自分が他人に対して向けているその目が、自分も向けれていると感じているのだ。

自分がワラーチに対して奇異の目を持たなくなると、人の目が気にならなくなる。
だって、すれ違う人たちが何を考えているのかなんて、自分にはわからないわけだから。

「変な人がいるな」と思っている人もいるかもしれないし、「お、ワラーチだ、自分も履いてい見たいなあ」って思っているかもしれない。
もしかしたら、「仲間がいた」と思う人もいるかもしれない。

でも、その頭の中のことを、僕は知る由もない。

つまり、自分か勝手に想像しているだけだ。
ああ、こんなことをしたら笑われるのではないかと。
なぜそう思うかと言えば、自分がそういう人を笑うからだ。

人それぞれモノの見方は違う

モノの見方というは、人それぞれ違うもの。
みんなが同じような見方をしているわけではないんだよね。

だけど、「こんなことしたら、こう思われるんじゃないか」という感覚があるのは、「ああ、自分がそういう見方をしているからそう思うんだ」って事に気がついたほうが良いと思う。

自分がこう見られているんじゃないかという感覚は、自分の持っている価値観やモノの見方に気づかせてくれる鏡のようなものだ。

だって、人がどういう価値観を持っているかなんてわからないんだもの。

人は、自分の価値観で世界を見ている。
その世界は、自分にしか見えていない世界なのに、みんなも同じ世界を見ていると思い込んでいる。

自分の価値観に気がつくいいチャンス

人の目が気になる時は、自分の価値観に気がつくいいチャンスだと思う。
なるほど、自分がそういう価値観を持っているということか。と。

人の目が気になるときには、まずは、自分の価値感に気がつくことが大切なのだ。

そして、自分の価値観が変わっていけば、人の目が気にならなくなるといこと。
つまり、人の目というのは、自分が生み出した幻のようなものなんだ。

まとめ

人の目が気になる。
そういう人は多い。

それは、自分が他人を否定的に見ている証拠なのだ。

そのことに気がつくだけで、人の目が気にならなくなるきっかけになる。